『帝都防衛 −戦争・災害・テロ−』

 阪神・淡路大震災(1995年)や東日本大震災(2011年)の惨状をみて、70数年前の空襲などの戦災をイメージした人は多いと思う。すべてが焼き払われている(あるいは流されている)様子は、戦争を体験していない人々でも写真を比較してほとんど同じ状況だなぁ、という感想を持つに違いない。
 特にいま心配されている、首都直下型地震において、東京という街がどんな様子になってしまうのかを想像する上で、過去に経験した自然災害や戦争に対する対策と被害状況をみてみることは、すこぶる有益なことということになる。まさに歴史を知ることは将来への対策になるのである。
 首都のことを戦前は「帝都」と云っていた。幕末・維新(1868年)から終戦(1945年)までの東京の守り、防衛体制はどのようになっていたのかを知り、防災対策・災害後の復興対策のヒントになるいい本がある。

『帝都防衛 −戦争・災害・テロ−』(土田宏成 著)(吉川弘文館
(歴史文化ライブラリー452)(2017年9月1日初版発行)

 本書は、江戸幕府によるお台場構築から始まる。“街を防衛する”ということについては、ペリー提督の来航までは、ずっと国内の敵から街を守る、という発想しかなかったが、大砲を備えた蒸気船が太平洋を越えてはるばるやってきたとき、人々は海からの敵から街を守らなければならない、ということに気づいた。それで東京湾に大砲の陣地(台場)を構築していくのである。
 帝都となった東京を外敵から守るのはもっぱら、海からの備えをしていればよかったのは日清・日露戦争まで。第一次世界大戦のとき、飛行機が登場して空からの敵にも備えなくてはならなくなった。
 しかし帝都の防衛は外敵だけではないのである。
 自然災害(関東大震災)と暴動(日比谷焼打事件など)とテロ・クーデター(2.26事件など)などからも帝都を守らなければならなかった。
 実際、帝都に配備されていた軍隊は、帝都において一度も外敵と戦ったことはなく、帝都での動員は同じ日本人を取り締まるためのものだった。日露戦争後の講和に対して不満を爆発させた群衆を取り締まるために軍隊が出動する(明治38年(1905年)9月5日)。関東大震災後の無秩序な混乱の中で、朝鮮人の大虐殺が行われ、それを阻止し秩序を回復させるために出動する(大正12年(1923年)9月1日)。情報が不足していたこの時代。思い込み(流言や蜚語)ほど恐ろしいものはない。朝鮮人虐殺事件はもっともっと情報があれば、起こらなかった事件と云えるかもしれない。関東大震災のとき、日本人はまだラジオを持たなかった。ラジオ放送自体が存在しなかった。実際に、執筆子の祖母(明治25年(1892年)生まれ)は死ぬまで、朝鮮人が井戸に毒を投げ入れたと信じていた。この間違った考えを覆すことができなかったのは、とても残念なのである。
 さらにクーデターも起こる。帝都防衛を任務としている第一師団の一部が反乱を起こし、政府要人を暗殺して政府の転覆と新政府の樹立を目標としたこの事件に対して、軍隊は同じ武力で立ち向かった(昭和11年(1936年2月26日))。

 昭和20年(1945年)8月15日の終戦後、最も心配されたのは、終戦=降伏に反対し、徹底抗戦を叫ぶ身内の軍隊の反乱であり、そのために帝都はただならぬ緊張の中にあったという。実際に、一部の兵士たちは決起しており、それを取り締まったのも同じ帝国陸軍の兵士たちであった。
 こうしてみると、戦前は実にさまざまな出来事があり、人々は若く、体の中に溜めたエネルギーの持って行きどころがなく、それが暴動やクーデターなどの負の行動に出てしまったんだろう、という観察もできる。

 さて、帝都における最大の危機は、云う間でもなく戦争末期の空襲である。敵は容赦なく民間人を殺戮した。敵との技術の差は、歴然としている。さらに帝都東京は木と紙でできている。一夜にして10万人の人々が空襲によって命を落としたのは、昭和20年(1945年)3月10日の未明のことだった。
 政府の方針も間違えていた。最後まで焼夷弾を消すこと(初期消火)を住民に強いていたので、人々は避難をしたくてもできず、そこに踏みとどまり、迫る炎に対する恐怖と戦いながら、火を消そうとする。・・・そんなことできるわけがない。
 なんということだろう。敵の理不尽な攻撃と政府の間違った方針により、何人の人々が死ななければならなかったのか。想像するだけで怒りがこみ上げてくる。
 その場に踏みとどまる、という発想は実は現在の防災対策でも云えるかもしれない。東京都の方針として、人々は自分たちの力で自分たちを守るように云っている。被害が大きすぎて、公的な救助はお手上げ状態。ならば住民同士で命を守り、命を繋いで行こう、ということだ。それはそれで仕方がないし、快適に過ごすためにさまざまな装置が隈なく身の回りに張り巡らされた私たちの生活では、生存への強い行動は起こせなくなっている。現代の都民は、寝床と餌を与えられなければ何もできないペットのようだ。ここで生きる力を取り戻そうとするためには、あらためて身の回りを振り返り、いざと云うときのために備えなくてはいけない。
 そのためにあの時代。あの空襲の時代をもっと研究しなくてはいけないし、経験者の話を聞かなければいけないと思うのである。

 首都を何から守るのだろう? 外敵や自然災害、そして群衆。さらに病原菌からも守らなくてはならないことになるのかもしれない。
 いつの世もたいへんなのだ。自分の身は自分で守らなければいけない。そのために我々は歴史を学ぶのだ。