新型コロナウィルス感染症禍

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新型コロナウィルス感染症禍の中で抜けるような青空

新型コロナウィルス感染症禍。
この「災厄」。
昨日の世界と明日の世界。
ついこの間のあのころが過去。
ウィルス蔓延禍の今。
そして、ウィルス蔓延が収束した未来。
昨日と今日と明日。
過去と現在と未来。
2月27日(木)。政府(=安倍晋三)は小中学校の休校を決め、今後2週間、人が集まるイベントの自粛を要請しました。
そして、わたしも計画していた講演会「当時の小学生が伝える東日本大震災 -大切な人の命と心を守るために-」(TTT講演会)(3月6日実施予定)の中止を決めました。
わたしにとってはこの日を境にして、世界が変わりました。
それは、他の皆さんも一緒だと思います。
このウィルス禍が収束した明日の世界は、ウィルスなんか存在しなかった昨日と同じ世界が戻ってくると思いますか?
・・・・・戻って来ないかもしれない、という漠然とした不安。
戻れないかもしれない、という諦観があります。
戻れるかどうか、それは断言できません。
明日の世界は昨日の世界と同じではない。
ウィルス禍の今を経験してしまった私たちはたぶん昨日の私たちに戻ることはできないと感じています。
ウィルスは姿を変えてまた現れるでしょう。
アルベール・カミュ『ペスト』の最後の文章を知っていますか?
“・・・・・ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろう・・・・・”(宮崎嶺雄 訳 新潮文庫)。

私たちはそれと共存しながら、生きていかなければいけないのです。
未来のために、未来を生きる子孫のために、それと戦いながら、生存していく義務があるのですね。
明日は昨日ではないけれど、明日を昨日以上によりよいものにする力を蓄えているのが、現在なのかもしれません。
皆さん、ご自愛を。
おのおの自分の持ち場で戦いましょう。