『映画で日本を考える』

 映画からその当時の世の中の雰囲気やその時代の考え方を探る、ということは映画ファンならば、大なり小なり自分でやっていることだろうと思う。とはいうものの、たった一本の映画から、その映画が製作されたときの時代を検証することはなかなか難しいし、危険なことだ。何本もたくさんの映画を見続けて、はじめて“この時代はこんな感じ”という定義が少しだけできるのではなか。世の映画評論家という仕事をしている人は、その映画の率直な感想もさることながら、そのような“時代の検証”をしなければならないだろう。それが映画評論家に要請された仕事だと思う。
 最近、ある映画の上映会のロビーで一冊の本を見つけた。それが今回ご紹介する書籍である。

『映画で日本を考える』(佐藤忠男 著)(中日映画社)(2015年6月12日初版発行)

映画で日本を考える

映画で日本を考える

本書の執筆者である、佐藤忠男氏は日本における映画評論家の最長老といってよく、映画評論の大御所であろう。また日本映画大学学長も務めているのは衆知のことである。
 日本においては、1945年(昭和20年)で時代がすっぱり変わった。この年の前と後では、日本の様子はすっかり変わったのはみなさんもご存じのとおり。しかし、日本人の中に脈々と流れている、日本人の血というか日本人の気質、あるいは性格というものはなかなか変わらない。・・・・・それも衆知のことだろう。

映画がうわべで戦争礼賛、民族の優越性の強調、というような内容のものを制作していて、ある時を境に今度は平和と民主主義、男女同権をテーマにした映画を製作する、その変わり身の早さは、映画に限らず、日本人の得意とするところであろう。しかし、日本人の中にある根本はあまりかわっていないんだ、ということが本書を読んであらためて認識できるのである
著者は膨大な量の映画を観る、あるいは、題名、監督名、出演者名、封切り年などが書かれた書物になった映画の一覧から、その時代の雰囲気を読み解いている。

本書の圧巻は、中ごろにある「フィルムセンターの古い映画が語りかける」。「戦前大衆映画の定型を考える」。・・・・・というあたりであろう。フィルムセンターとは、東京京橋にある東京国立近代美術館フィルムセンターのことであり、ここは映画フィルムを蒐集している日本のアーカイヴである。
日本映画の中で同一題材で最もたくさん繰り返し作られているものは何か。と問いかけ、それは「忠臣蔵」であると書き、それについての論説が続く。忠臣蔵は登場人物が多いので、彼らをクローズアップした物語も紡ぐことができる。大石内蔵助はむろん、堀部安兵衛や赤垣源蔵、寺坂吉右衛門などを主役にした物語を編み、それから仇討ちから脱落した小山田庄左衛門の物語も作れる。さらに外伝としてさまざまなバリエーションを作ることができ、あの四谷怪談だって忠臣蔵の外伝としてこの膨大な「忠臣蔵」グループに加えることは可能なのだ。・・・・・そうなるともはや「忠臣蔵」グループを数えることは不可能になってしまう。

そして何よりも大切なことは、数を数えることではなく、なぜこの国の人々は「忠臣蔵」を好むのか。ということと、この国の人々は「忠臣蔵」に何を求めるのか。ということを考えることであろう。
これは難しい。本書でもその明確な解答は用意していない。ひとつだけ、ヒントのようなものがある。

戦前の「忠臣蔵」は義のために死にゆく浪士たちに忠君の姿をみる。まさに“忠君愛国”思想の実践であろう。そして戦後の「忠臣蔵」のテーマは忠君、というよりも、国家の判断の過ちを糺すために討ち入りを決行したことにシフトするのだ。つまり内蔵助がいうせりふ。“喧嘩両成敗の原則を曲げたご政道の過ちを糺す”。というもの。これを「忠臣蔵」の主題に据えると、政府の決めたことに対する異議申し立てなど、戦後の民主主義のあるべき姿がみえてくる。といってもそれはたぶんに建前としてであり、国民(=観衆)もそれが建前であることがわかっているから、死と引き換えに行った異議申し立てに拍手を送るのであろう。さらに近年は、赤穂藩と吉良の経済戦争とみる見方もでてきている。ずばり塩。良質で安価な赤穂の塩に三河湾の沿岸に領地を持つ吉良上野介の塩が市場で負け、駆逐さててしまい、それに恨みをもった吉良は・・・。という視点で刃傷沙汰を読み取り、その後の展開も経済上の争いに特化して進めていく解釈もでてきた。このように「忠臣蔵」は物語をどう切り取ろうと、どう解釈しようと、すべて成り立ってしまう変幻自在に変身していくお化けのような存在なのだ。「忠臣蔵」はまさに日本映画の中心に位置している、日本及び日本人を知ることができる素晴らしい題材である。

 本書のもうひとつの中心は「世界映画史上一位としての「東京物語」」の章にある。
 2012年、英国のブリティッシュ・フィルム・インスティテュート(英国国立映画研究所)が10年ごとに行っている世界映画史上ベストテンの投票で「東京物語」(小津安二郎監督作品)(1953年)が一位になった。そのことの考察の章になっている。

 そもそも時代劇でもないこの「東京物語」が日本映画としてどうやって外国に紹介されたのだろうか。この映画は制作当時にどこの映画祭にも出品されていない。本書に拠ると、1958年のロンドン映画祭に誰かが推薦して出品され、ここで高い評価を受け、その後ヨーロッパやアメリカ各地で繰り返し上映されるようになったという。この作品を監督した小津安二郎という人を欧米が“発見”したのもこの1958年のロンドン映画祭だったようだ。それ以降、小津の作品はどの作品も素晴らしい。なんとかベストテンに入ってほしい、だから票を分散させずにみんなで「東京物語」に投票しようよ、という事前運動があったという。とても興味深い話ではないか。
さらにこの「東京物語」にはベースになる原作映画があったという。1937年に日本で公開されたアメリカ映画「明日は来たらず」。老いた両親を子供たちのうちで誰が面倒をみるか、ということをテーマにした映画であり、まさに「東京物語」のテーマと一致する。

著者はこの「東京物語」をさまざまな視点から見つめ、日本の文化や日本人のものの考え方を論じているのである。
 映画ができておよそ150年ほどになる。たくさんの映画が製作され、上映されてきた。しかし長い人類の歴史からみると、まだほんの150年にしかならない。いまはひとりの力で映画を分析して、時代をみる、という作業はかろうじて可能かもしれない。1930年生まれの著者なら可能だろう。しかしその後に生まれた人たちでは、この作業は不可能だ。これからも佐藤忠男さんには映画の歴史を研究してもらい、素晴らしい書物を世に送り出してほしい。