『子どもたちに「生き抜く力を」 釜石の事例に学ぶ津波防災教室』

 先の東日本大震災では、東北地方太平洋岸は軒並み津波の被害に遭い、多くの人命が失われた。世代でみると最も被害の割合が大きかったのは高齢者であるが、一方で地震の発生と津波の到来が下校時刻と重なった小中学生にも甚大な被害を受けている。どこの市町村でも貴重な未来を担う小中学生の犠牲が大きかった。
 しかしながら、岩手県釜石市のみは小中学生の被害が皆無だった(登校していた子どもたちに犠牲者はいなかった。3/11に欠席していたり早退したりした子どもたちには被害が生じている)。
 なぜ釜石だけは小中学生が助かったのだろうか?という疑問が湧く。被害を受けた他の地域と釜石とは何が違っていたのだろうか?・・・・・そういう疑問に答える一冊を紹介する。

『子どもたちに「生き抜く力を」 釜石の事例に学ぶ津波防災教室』(片田敏孝 著)
フレーベル館)(2012年2月1日第1刷)

 本書の執筆者である、片田敏孝氏は防災研究者であり、2004年から行政と一緒に津波防災の取組みを始めた。
 行政に協力を求めて、住民を巻き込んで何かをしようとする時、おそらく最初は相当な抵抗に遭い、非協力に泣かされたであろう。行政の抵抗と住民の無理解。そのことは本書の主題とは無関係なので、本文ではさらりと流しているが、実施までの長い苦労をしたのだろうことは、察することあまりある。2011年以降ならば、この“津波防災”は日本全国で海岸線を有するあらゆる場所で、大歓迎で受け入れられるが、2004年当時は、津波頻発地帯である三陸海岸地帯でさえ、片田教授のこの申し出を受け入れた自治体は釜石市しかなかった。

 本書は、最初に“あの日”の模様を描く。大地震発生後、釜石東中学校と隣接する鵜住居小学校の生徒・児童たちがどのように高台に避難したのかをドキュメンタリータッチで描写している。ドラマにもなり有名な逸話になっているが、中学生たちが自分たちの判断で「逃げろ!」と号令を掛け、自らも避難を開始した。それを見ていた小学生たちも一緒に続く。中学生は小学生低学年と手を繋ぎ、高台へ急ぐ。途中で保育所の前をとおり、保育園児も保育士と一緒に逃げ始めた。子どもたちが中心の大集団が高台に向かって逃げていく光景。それを目にした大人たちは、その勢いに呑まれるように、集団に参加して高台に移動していく。
 集団があらかじめ決めておいた避難場所に到着し、振り返れば、怒涛の勢いで海が陸地を呑みこみ始めていた。ここにいては危ない、と誰かが判断して、この大集団はさらに上を目指した。結局、三たび場所を替えて避難した。集団のしんがりは、足元を濡らして間一髪で津波に呑み込まれることなく避難できた、という。想像するだけでもはらはらするドキュメンタリーである。
 この一連の避難行動は、たくさんの教訓を得て釜石における“津波防災”活動の成果としてこれからも記憶されるべきものになっている。

 さて、あの日になぜ、釜石の子どもたちはこのような行動が取れたのだろうか。この「釜石の奇跡」という出来事はなぜ存在したのだろう。他の地域でできなかったのに、釜石だけができたのはどうしてなのだろう。
 このことが最も肝心なことであり、これが本書の主題なのだ。
 その答えは簡単だ。子どもに対して啓蒙啓発普及活動をしたからである。

 釜石市では学校教育の一環として子どもたちに防災教育を施した。学校で子どもたちに教えると、子どもたちは家庭で家族に話をする。また、学校からもらった手紙や文書を家族にみせる。学校では時に子どもを通じて家族へのアンケートをした。家族はそのアンケートに答えることによって、津波防災について考えることになり、より早い避難をしなければならない、と思うようになっていく。
 大人を動かしたかったら、子どもに施せ。いつの時代でのどんな場所でも、親は子どもの命を最大限に守ろうとする。子どもの命が保証されれば、親は安心して自分たちも避難する。素晴らしい仕組みだ。

 今回の大津波を経験して、さらに津波防災はよく練られ、精度を上げた。短い言葉で表現した「津波から命を守る避難三原則」というキャッチフレーズを掲げる。

「1 想定額にとらわれるな」
 役所の作成したハザードマップは役に立たなかった。津波はその上を行った。実際の避難では三度も避難場所を替えた。
「2 その状況下において最善を尽くせ」
 自分の命を守ることを、最優先にして、いま自分ができることをやる。
「3 率先避難者たれ」
 周りの人にどう思われようと、恥ずかしがらずに避難の最初の一歩を踏み出す。

 この三原則は、津波から避難する際の三原則であるが、津波だけに限らない。ほぼすべての災害に通じるものであろう。河川の氾濫、土石流、噴火、火災・・・などなど。あらゆる災害に通じる三原則だと思う。「想定にとらわれず、最善を尽くし、率先避難者になる」。・・・まさにこれこそが正しい判断と行動なのだ。
 そして釜石における「釜石の奇跡」は、実はこの三原則を積極的に実行したからこそ、「奇跡」になったのである。
 この三原則からみえてくることは、ハードに頼らないということであろうか。巨大な防潮堤。役所が作るハザードマップ。指定された避難所。・・・・・これら既存の建造物やしくみは、ことごとく今回の震災ではあまり役に立たなかった。

 最も効果的だったのは、自らの判断で逃げる、ということであった。
 逃げることを文化にすれば、より多くの人命が救われ、さらに死者数が零、ということも不可のではなくなる。
 この「釜石の奇跡」を日本全国に普及させたい。