『還れぬ家』 

『還れぬ家』 (佐伯 一麦 著)(新潮社)(2013.2.25)

 「私小説」と標題に記載したが、これは本当に私小説なのだろうか。私小説以前に小説なのだろうか。・・・・・それが読後の最初の素朴な印象だった。あまりにも現実すぎる普通の日常の生活が描かれている。登場人物の名前や団体名は架空のものであろうが、おそらく小説らしいのはその部分だけ。読み進めるうちに、個人の日記を読んでいるような気持ちになってしまう。日々の出来事が綴られ、それに関して作者の感想や感慨が語られる。他の人のことはすべて作者という最も大きく厚いフィルターを通して語られる。限りなく日記に近い物語なのだ。

 作者は仙台在住の作家である。物語の中に出てくる地名はそのまま実際の地名である。生活しているその場所が実際の場所なので、風景を描いても臨場感のある描写になっているのだ。
 人生にはいくつかの大きな波がある。うねりが底辺の時には特筆すべきことのない日常であり、その時はおそらく日記にはあまり書くべきことがない。うねりが大きく盛り上がっているときは、波瀾万丈の時を送っている状態であろう。その時の日記は多くの頁を費やすに違いない。人の人生において盛り上がっている時とは、例えば受験の時。恋愛の時。就職の時。結婚の時。子どもの誕生。そして親の介護。さらに甚大な災害に見舞われた時。・・・そういう時に人はおそらく饒舌になる。そして筆の勢いがいやがうえにも増すにちがいない。
 本書は、その盛り上がった波のうち、親の介護と甚大な災害というふたつのうねりが重なり合い、たいへん苦悩している様を淡白な文章で描いている。厳密に云えば、親の介護が終わった後、甚大な災害が襲ったのだが、筆者は明らかに父親の介護日記として本書の筆を起こしている。しかし途中で震災に遭遇し、その重大な災厄を無視して介護日記を進めることはできず、好むと好まざるとにかかわらず、震災以後いままでのスタイルを捨てて、このふたつの大きな出来事が輻輳して複雑に絡み合った形式にして、物語を進めている点。それが大いに興味深い。それはつまり日常の介護ということと非日常の震災を絡めることに対する作者の逡巡をそのまま読者も追体験するような感触で読み進めていくことになる。
 筆者は自分の父親が体のあちこちに疾患を抱えながら、認知症になっていき、衰えていく様を最も身近にいて注意深く観察し、そして文章化していた。それを月刊の文芸誌に定期連載していた。そして連載が何回目かまで進んだ時、あの東日本大震災を体験した。震災前に連載していた『還れぬ家』とその後の同じ『還れぬ家』とは文章のタッチや筆運びなどすべてが全く違う。いままで、時系列で父親の介護日記をつけていたのに、2011年(平成23年)3月11日を境にいきなりすべてを変更している。この3.11による変調を余儀なくされて、介護と震災のふたつが交錯していく。
 作者は本書を日記のように書き始めた。これは前述したとおり。そして題名を『還れぬ家』とした。「還らぬ家」ではなく「還れぬ家」。還ることができない家。帰りたくても還れない家。幼い時のつらい思い出。子供から大人へと成長していく間に誰でも体験する両親とのちょっとした葛藤。子供の時は互いに助けあって生活していたのに大人になると疎遠になってしまった兄弟。・・・そういうものが実家にはすべて詰まっている。少年時代と大人になった今とのギャップは実家とは別の所に住んでいる人は大なり小なり経験していることだろうと思う。少年時代を過ごした実家が当時のまま存在し、そのまま親がそこに住んでいる人は尚更、いいも悪いも思い出深いものがあるだろう。そのままの家では楽しくないので還れない。わだかまりがあって還れない。何かが変わってくれないと還れない。そういう家なのだろう。そしてふたつのことがあって、この家は変わった。たぶん。
 父親の介護をしながら、そういう実家=家族との思い出に浸る主人公(=作者)。震災まではそのような思いのまま、物語は父親の最期に至るように組み立てようと思っていたのであろう。父親の介護日記として介護の日々を同時中継していこうと思っていたが、予想よりも早い父の死。そしてその後すぐ震災に襲われたこと。番狂わせの予定変更で、震災後を生きていく、震災小説に仕上がった。
 このことは、作者にしてみればたぶんおそらく、瓢箪から駒だったのではないか。まさか、日常に最大の災厄が降りかかるとは思いもよらないことだったろう。実際に震災後の風景描写や人間描写が素晴らしい。日常の営みの中で突然天変地異に襲われ、慌てふためく人々とその後の脱力感。しかしそれでも生きていかねばならないその野性的な生存の本能。そういうものが表現されていると思う。
 最後に、本ブログの執筆子(多呂さ)はこの3月に父を亡くした。父の最期に至る1週間は、本書に記載されている、作者の父親の様子とほぼ同じだった。そこには荘厳な人の死があった。本書を読み終えた今、思い出すのは父との日々である。

還れぬ家

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