「三人姉妹」(文学座)

 「三人姉妹」 文学座公演 於 紀伊国屋ホール 19:00〜
 文学座の公演は毎度のことながら外さない。この公演も素晴らしいものだった。
 チェーホフの芝居はテーマがはっきりしているので好きだ。今回の「三人姉妹」は、芝居の後半に、ヴェルシーニンやオリガが台詞でテーマそのものを喋りまくるが、これがこの戯曲の欠点といえば欠点だと思う。人間は、絶対にああは喋らない。リアリティに欠ける。
 が、シェイクスピアだって、河竹黙阿弥だってみんなこういうチェーホフのような台詞だということにすぐに気づく。だから演劇ではなんでも許されるわけだ。その見本のような物語となっている。
 映画などの映像の分野ではそうはいかない。リアルな台詞。そのもののセット。そういう違いがあるんだな、なんていうことを思いながら、この芝居を観ていた。それにしてもヴェルシーニンの台詞はみな素晴らしい。特に第四幕では、チェーホフの云いたいことをすっかりヴェルシーニンに云わせている感じだ。どれもこれも今でもまったく輝きを失っていない貴重な言葉の数々だと思う。それは、いまだ人間社会はヴェルシーニンが望んだ世界に達していないという証左。
 この芝居は、ナポレオン戦争など革命と動乱の時代に一応区切りが着いて、世紀後半の帝国主義の衝突まではまだ間がある、つかの間の平和を享受しているロシアの穏やかな雰囲気の中で賢明に生きていく健気な三人姉妹を軸にして何人もの人間が描かれており、彼らがそれぞれ絡みあって、それぞれの人間関係が交錯している。物語を追う展開ではなく、純粋に人間を描いたとてもいい戯曲を力量のある役者さんたちが演じていていた。
 ナターシャがどんどん図々しい女になっていく、その過程が面白い。それは役者さんの力量か、演出の技か。
 第三幕の火事の現場の風景では、「被災者」という言葉が出てきて、いまの日本を思い起こす。この三幕だけ、ふっ、と我が祖国に立ち戻った。時節に合ったいい台詞だ。