『3.11を心に刻んで』(岩波書店編集部)&『言葉に何ができるか 3.11を越えて――』(佐野眞一・和合亮一)

第29回 東日本大震災関連(その2)・・・・・言葉になにができるか

 今号の小欄は、言葉を紡ぐことを生業にしている人々がこの震災をどうみたのか。どう感じたのか。そしてどう行動したのか。それをみたい。
 あの時しばらくは皆が言葉を失った。それからすこしずつ語り始めた。しかし最初はぎこちない言葉しか戻ってこなかった。おざなりでありきたりな言葉の羅列。昨年の4月や5月ごろの新聞コラムを読んでみるといい。言葉が死んでいる。曰く“言葉を失う” “映画の一場面をみているようだ” “何も考えられない” などなど、文筆家と云われる人たちからしてこの程度だった。あの震災は彼らをして沈黙と凡庸へと落ち込ませたもうた、それほど悲惨な出来事であった、その証左なのであった。
 しかしながら、それでも少しずつ言葉は戻ってきている。今回紹介する2冊は、言葉を取り戻そうとしている人々の記録記事と実際に言葉を取り戻そうと努力をしているふたりの文筆家の対談を編んだ本である。

 『3.11を心に刻んで』(岩波書店編集部編)(岩波書店)(2012)
 『言葉に何ができるか 3.11を越えて――』(佐野眞一和合亮一)(徳間書店)(2012)

 『3.11を心に刻んで』は、2部構成になっている。前半の1部の題名は「3.11を心に刻んで」・・・・・・本のタイトルそのままの題名になっている。後半の2部は、「3.11に寄せて」と云う題名だ。
 1部の「心に刻んで」は岩波書店のHPに同じ題名のコーナーがあり、その場において主に文章を生業としている人々の文章が掲載されている。この試みは昨年の5月から始まり、今年の2月掲載分まで、全10回・30名分をまとめたものだ。そしてこの「心に刻んで」のコーナーは今も岩波のHP上で続いている。

 2部の「寄せて」は、1部のHP上の文章を掲載した同じ人たちによるその後の書き下ろしを登載している。
 本書の読み処は、なんと云っても同じ人が時間を変えて書いた文章を比較できるところだ。昨年の5月、6月、7月、8月あたりに書いた文章は、その人が動揺している姿が垣間見えるのだ。そして若干の緊張が伴っている。膝の震えが止まらないような、そんな雰囲気が行間から感じさせる文章の数々。書くことを仕事にしている人々が苦しみながら一心に言葉を紡ごうとしている、そんな文章にこちらは感動するのだ。HP上の文章は、デジタルな横書きの無機質な文章でなかなか読み継いでいこうとは思えないが、印刷された本になり、縦書きになった途端に著者たちの気持ちが紙を通して読者に直截的に訴えてくるのはとても不思議だ。書かれている内容はまったく同じなのに。
 それはともかく、ひとり紹介しよう。
 作家の星野智幸氏。昨年5月11日掲載分には、――
 「・・・死者たちの無念を思い続け、語り続けるために、私たちは残されている・・・(中略)・・・でも、死者たちが「魂の底」を語りきれば、明けるのです。死者の魂をおさめるために、私は生きたい。」
 死者たちの無念を想い、そこに寄り添っている姿がみえる。震災からまだ2ヶ月の時点だ。
 そして、書き下ろし。
 「・・・私自身は、今は沈黙のときだと思っています。自分に震災を語る言葉がまだ見つからないだけでなく、当事者たちが言葉を語れるようになるまで、待つ時間なのです。・・・(中略)・・・その方たちの発する言葉を聞くことで、お互いの存在を肯定し合いたい。」
 時間が経過しても、まだ言葉を見つけられずにいる筆者は、それを素直に認め、そして死者とともに当事者たち(被災者たち)にも心を向けている。
 愚生はとてもいい文章だと思った。全編、震災と死者と被災者と壊れた国土について考察している、一灯のともしびのような作品で満たされた本だ。

 『言葉に何ができるか 3.11を越えて――』の方は、ぐっとシリアスに読者の胸に迫る。
 著者のひとり、佐野眞一氏は、震災後いち早く現場に入り『震災と原発』を著したノンフィクション作家。もうひとりの和合亮一氏は、震災後の福島から被災状況をツイッターで綴っている詩人。とても興味深いこのふたりによる対談はいろいろなことを考えさせられる。
 佐野氏が震災後の政府や東電、経済界、そしてマスコミに対して怒る。和合氏は震災後の言葉の喪失に心を痛め嘆く。
 和合氏は云う。“日本人には叙事詩の精神が欠落している。” つまり文明の衝突や瓦解を説明する言葉がない、と云っているのだ。それを受けて佐野氏は、震災後の日本の閉塞感について語る。“閉塞感ということばを解くと、信頼に値する言葉、寄る辺がない。希望がない。” とはっきり云っている。その通りだと思う。政治家の言葉は誰の言葉も同じに聞こえ、心に訴えてこないのは国民みんなが感じていることだ。そして佐野氏はそのような言葉の貧困性を「精神の瓦礫」という言葉で表現した。すべては想像力のなさだと思う。遠くから眺めているだけではだめだ。現場に入る。当事者から話を聞く。そして自分の頭で考える。そういう姿勢があれば、無造作な貧しい言葉が出るはずがない、と愚生も思うのだ。
 この言葉の貧困は、日本人の叙事性のなさに起因しているのだろうか。だとすれば、もうどうしようもない気がしなくもない。確かに我々日本人は近代に入った後、90年前の関東大震災を経験したが、その時に発せられた言葉がこんにちまで伝わっていない。あの未曾有の大震災時に政治家はともかくとして、言葉を紡ぐ人々はなにをしていたのだろうか。

 福島原発禍のことで云えば、日本人は自ら自分たちの国土の中に人が立ち入れない場所を造ってしまったのだ。つまり“原爆を自分たちの国に落とした”のだ。このことひとつを思えば、今後なにをすべきかがわかろうというものだ。日本はいつから誰も責任を取らない国になってしまったのだろう。
 3.11を乗り越えるには、線を引いて向こうとこっちに分けることをしてはいけない。
 ということがどうやら本書の結論になっているようだ。被災者とそうでない人。放射能を浴びた地域とそうでない地域。そういう区分をせず、全日本人がおなじ禍を等しく共有する、ということだと思う。
 おまけでもう一冊。
 『文藝春秋 三月臨時増刊号−3.11から1年 100人の作家の言葉』

 作家たちがそれぞれいろいろなことを云っている。それはむしろ姦しいくらいだ。そしてこの本雑誌の興味深い点は、愚生が上記に記載した関東大震災の時の言葉について当時の作家たちの文章を再録しているのだ。しかしながら、それらはどうもぱっとしないのだ。芥川も久米正雄横光利一川端康成も書いているのだが、なにか第三者的で胸に迫るものがない。まったくおもしろくなく却ってがっかりする。なぜ、「文藝春秋」の編集部はこれらの作品を再録したのであろうか、まったく意味不明なのだ。それを確認する上で一読してもいい。
 本雑誌の中で最も感じたのは、「14人大座談会」である。震災時の経産相首相補佐官、警察、消防、自衛隊責任者、被災町長、医師、地元新聞社、被災漁業者、そして棋士と作家。これらの立場の違う人たちによる話はこの震災を考えていく上でとても示唆に富んでいる。

3.11を心に刻んで

3.11を心に刻んで

3.11を越えて― 言葉に何ができるのか

3.11を越えて― 言葉に何ができるのか