『生存者』(根岸康雄)&『気仙沼に消えた姉を追って』(生島純)&『暗い夜、星を数えて』(彩瀬まる)

第30回 東日本大震災関連(その3)・・・・・生還者と死者の境い目

 今号の小欄は、この災害で人々がどう行動したか。なかんずく、どう行動した人が助かり、また無念にも帰らぬ人となってしまった人たちは何をしなかったか、を考えてみたい。翻ってそれを考えることが、ことが起こった時の自らの行動の指針になるはずだ。
 今回紹介する3冊は、著者みずからが被災地を歩き、生存者たちを丹念に取材して、丁寧な言葉で表現している良書である。

 『生存者  3.11大槌町津波てんでんこ』(根岸康雄 著)(双葉社)(2012)
 『気仙沼に消えた姉を追って』(生島純 著)(文藝春秋)(2012)
 『暗い夜、星を数えて  3.11被災鉄道からの脱出』(彩瀬まる 著)(新潮社)(2012)

 『生存者  3.11大槌町津波てんでんこ』は、市街地がほぼすべて津波に呑まれた岩手県大槌町の生存者の記録である。大槌町という一つの地域に限定したことで、震災とその後の津波の被害が鮮やかに表現されている。著者はまえがきで云っている。「…「津波てんでんこ」は将来、必ずまた襲ってくる大津波に対して、重大な示唆を与える言葉であると同時に、日常生活においても、いざというとき、大いに役に立つ意味合いを含んでいる…」。
 本書は大槌町で生き残った6人の人々、その6人の貴重な体験を記録している。
 家の中で津波に襲われた人。避難中に津波に呑み込まれた人。咄嗟の判断で津波から逃れることができた人。津波がやって来た状況は人さまざまであるが、これら生き残った人々の話はとても貴重だ。全員が自分の命を自分自身で守っている。

 本書を読めば誰でも感じることは、生存者はすべて、生への強い執着心があった、ということだろう。生きることを諦めず、自分を信じてそして何かを信じて生きのびた人々なのだ。絶望的な状況から見事に生還した人々の記録。読んでいても手に汗を握り、気がつけば彼らを応援しているのだ。
 本書の読みやすい点は、地図をたくさん載せていることにある。6名が地震に遭った場所、それからどう行動してどこにいた時に津波に遭遇し、どのように逃れて生き残ったか、という彼らの行動が地図をみることによってより理解が深まるのだ。

 『気仙沼に消えた姉を追って』。気仙沼に生まれ育った4人兄弟。一番上の姉だけが、地元に残り、下の3人の男たちは皆東京で生計を立てている。末っ子の著者は、津波で行方不明の姉の消息をたずねるために故郷へと向かう。久しぶりの故郷の変わり果てた姿に愕然とし、この光景におそらく津波で犠牲になった姉の姿を重ねる。ノンフィクションでありながら、文学の香りさえ漂う優れた記録である。
 姉の消息を追うことは、すなわち、著者の故郷、心の拠り所、自分のルーツを辿る旅になる。
 著者は、母校の高校(気仙沼高校)の同級生で地元に残っている人たちを訪ねる。彼らを足がかりに取材範囲を拡げていく。水産加工業を営んでいる人。すべてを流されてしまった。中学校の先生。地震の時は卒業式の当日だった。現役の高校生たち。皆、被災したが、懸命に生きている人々がそこには生き生きと描写されている。
 ほとんど刺激のない街を18歳で見切りをつけた著者はしかしながら、この震災によって再び故郷の気仙沼に引き寄せられた。姉を追って。
 本書の中で素朴に感動するのは、中学校教師の話であろう。気仙沼の市街地に向き合う形で大島という名の離島があり、そこの中学校で英語の教師をしている男性を描いている一遍がある。大島には米軍が上陸した。“トモダチ作戦”である。英語の教師である彼は通訳として、米軍の担当官と地元の間に立ち、それこそ獅子奮迅の活躍をするのだ。勤務先は島だが、自宅は本土にある。被災から何日かは自宅に戻れない日々が続く。諸兄諸氏は想像できるだろうか。自分の家族や家がどんな状態になっているのかわからない中で、教師として子供たちや島民の世話をする、ということを。その後、彼は自宅に帰り、家族の無事を確認したが、またすぐ島に戻らなければならなかった。被災後の島には若い男性教師がする仕事は山ほどある。そして3月18日になって彼には新しい仕事が舞い込んできた。アメリカの海兵隊がやって来た。海兵隊と彼および島民との交流を描いた部分は感動的だ。その部分を読み返しても暖かい感動で涙が出てくる。
 終章でDNA鑑定の結果、姉の遺体が特定される。遺体番号236。その時、姉を取り戻した著者は自分の故郷も取り戻すことができた。しかしその故郷は、いつかの故郷ではない。

 『暗い夜、星を数えて  3.11被災鉄道からの脱出』は、たまたま仙台から東京に帰るために東北本線ではなく、海岸沿いを常磐線に乗っていて、自身も被災し避難生活を経験した著者の生々しい体験の記録である。
 著者は若干25歳の女性作家である。彼女が常磐線で南下している時、宮城県から福島県に入った最初の駅である新地駅地震に遭い、そしてたまたま座席が隣同士になった女性と一緒に避難した。押し寄せる津波に押し上げられるように高台へ走り、ある中学校に避難した。
 ここからが本書の核心部分である、避難民になった著者による、生々しい避難民の記録だ。しかも彼女は地元の人間ではない。電気も水道も使えず、たいへんな数日を過ごしている。が、日本は若い女性にやさしい国だ。自分の家に帰宅する地元のおばさんに誘われ、彼女はその女性の家に厄介になる。女性の家でほっと一息ついた彼女であるが、更なる試練が待っていた。あの原発禍である。福島県浜通りに住んでいる人々の不安が実際にどんなものだったか、身を持って体験した彼女のこの体験記はとても貴重な資料でもある。
 政府をはじめ、公的機関の発表がどれも信じられず、みんな自分の判断で行動しなければならなかった。そして3月12日〜15日までの最も緊迫した日々を著者は福島の浜通り地方で過ごした。
 危機的状況の次に福島県民たちを襲ったのは差別である。数ヶ月後すこし落ち着いた頃、著者は再び浜通りを訪ねた。世話になった人たちに再会した。そして浜通りの人々は、県外に行くとひどい目に遭う、と口々に云うのであった。
 このあたりの描写は、著者も揺れている。悩んでいるのがよくわかる。自分自身も福島で採れた野菜は口にしない。しかし現実に野菜を作っている人からお礼にと野菜をたくさん貰う。放射能検査には合格しているが、やはり口にできない。子供を生む前の25歳の女性なら当たり前だと思うか、それとも冷たい人だと突き放してみるか。それこそ読者ごとにその感想はまちまちであろう。
 著者がいわき市で災害ボランティアに従事したくだりがある。小欄をちまちまと書いている愚生も災害ボランティアの経験があるが、汚泥にまみれぐしゃぐちゃになってしまった家を片付ける状況の描写は、まったくその通りなのだ。上手い。感じたことをしっかり文章にする、というよい書き方の見本のような文章は一読に値する。人が住んでいる家とは、まさに記憶の蓄積なんだ、とこの著者と同じことを愚生も思った。
 ただ、本書のサブタイトルには異議がある。「被災鉄道からの脱出」って。ただならぬ気配を感じるが、本書の問題は、列車からの避難ではなく、避難生活そのものとその後の放射線の恐怖、このふたつが主題なのだ。扇動的なタイトルは忌避した方がいい。せっかくの本文に傷がつく。

生存者 3.11 大槌町、津波てんでんこ
気仙沼に消えた姉を追って
暗い夜、星を数えて―3・11被災鉄道からの脱出