3.11から考える「この国のかたち」 −東北学を再建する−

 今回の震災は、日本が最大の人口規模となったときに起こった。これから日本は人口減少の時代に入り、そして50年後は8,000万人まで、人口は減ると云われている。人口の減少はつまり、人の住むところが小さくなってくる、ということであろう。東北地方の太平洋側は3.11以降、壊滅的打撃を受け、人が住めなくなってしまった場所がいくつもある。
 それが50年後の日本の姿なのだ、という本がある。

 『3.11から考える「この国のかたち」 −東北学を再建する−』
赤坂憲雄 著)(新潮選書)(2012.9.30)(新潮社)

 前半の「新章東北学」は、著者が産経新聞に隔週連載した、被災地レポートとでも云うべき記事をまとめたもの。
 後半の「東北学第二章への道」は、野蒜や南三陸など具体的な場所の民俗学的なアプローチによる考察。

 「新章東北学」は、2011年6月から震災から1年経った2012年3月まで、民俗学者である著者が被災地を巡り歩き、その時の印象を語りかけるような柔らかく素直な文章で綴られた文章になっている。新聞連載なので、一話がそれほど長くなく、手頃な文章量がよい。
 著者が被災地をみて、繰り返し想い、そして我々読者に語ったことは、一言で云えば、“衰退の準備”ということか。・・・・・それはいくらなんでも寂しすぎるから、“縮小の準備”とても云った方がいいのか。つまり、いままでの人口増加時代にあっては、人が住む場所と食糧供給地は山を切り拓き、野を開拓し、海を干拓して、その面積を拡げていった。そのようにして、人は宅地と耕地を拡げていった。そして人口がピークになった時にこの震災が起こり、人が開拓して干拓した場所は、地崩れが起こり、宅地や耕地は破壊され、また土地が沈下して開拓前の潟や海になってしまった。それは結局、人が手を入れる前の状態に戻ってしまった、ということに他ならない。人口減少時代にその土地を震災前の状態に戻すメリットはあるのだろうか? またもし戻すとしてもその財源はどうする? という疑問を読者に突きつける。
 今回の震災で各地区にあった、神社やお寺が数多く破壊された。しかしその大半は修復されていない。神社仏閣の再建に復興予算はつけられないからである。神社は鎮守の森として地域のセンターの役割を果たしており、お寺はご先祖さまをお祀りしている。両者とも地域の要になっている施設であった。それが再建されない。そのことは、すなわちソフトパワーとしての共同体もじわじわと衰えていき、いつかは壊滅してしまうことを意味している。
 人が住まなくなった地には、すぐに自然が押し寄せてくる。草木は瞬く間に生い茂り、野生動物たちがついこの間まで人がいた所を出没し跋扈する。
 こうして悲しいことだが、被災地は徐々に人の地ではなくなるのだ。
 そしてさらに、福島第一原発のことがある。地崩れと地盤沈下はそれでも自然に戻ることができるが、放射能で汚染された地は、本来の自然ではない。人工でも自然でもない別のものになってしまった。著者はそれを嘆くのではなく、悲しく見つめている。
 著者は東北を終始悲しい目で眺めている。

 「東北学第二章への道」は、具体的な場所の民族学的なフィールドワークである。
 東松島の野蒜で明治時代の巨大プロジェクトであった野蒜築港の跡(むろん津波で破壊されてしまった)をみて近代化の夢を追い、被災地の三陸地方を『遠野物語』と重ねあわせる。また、南三陸縄文文化の痕跡を考え、南相馬では近代によって生まれた干拓地が元の潟に戻ったことを所有権との関連で考察する。その場所を少しでも知っている人、あるいは興味を持っている人にとっては興味は尽きない知的好奇心を刺激する読み物になっている。