『黒澤明の十字架』

 『黒澤明の十字架 −戦争と円谷特撮と徴兵忌避−』
  (指田 文夫 著)(現代企画室)(2013.3.25)

 黒澤明は十字架を背負っていた、ということだろう。すべての罪を背負って磔になったイエスに重ねている。黒澤は何の罪を背負ったのか? 彼の贖罪意識は何から来るのか? それを考察する本なのだ。
 戦前戦中に芸術家たちは大なり小なり戦争に関わっていたのと同様に、黒澤も戦争に協力している。戦争を肯定する作品をつくっている。そして戦後、それら芸術家たちは手のひらを返したように戦争を否定し民主主義と平和を賛美する作品を競って作った。黒澤も例外ではない。本書の作者によると、しかしながら黒澤は単に平和と民主主義に酔っている作風ではない、という。まず気がつくことは復員兵を扱ったものが多い、ということだ。『酔いどれ天使』『素晴らしき日曜日』『野良犬』『静かなる決闘』。・・・戦後の映画はすべて復員兵が主人公である。“復員兵”という言葉の印象は、当時も今も過去の戦争の傷を負った男たち、というイメージであろう。なぜ黒澤は戦争に起因する心の傷や悔いを作品の主題として取り上げているのか。
 世に知られているように、黒澤は兵役に就いていない。1910年(明治43年)生まれの黒澤は1945年(昭和20年)当時35歳。日本は黒澤が20歳の時から常に戦争状態であった。昭和20年まで兵役は日本男性の最大の義務であった。ほとんどの男性が兵役に就く状況で、徴兵されなった男性は肩身の狭い思いをしたに違いない。とは云っても戦争中は本土にいても、相次ぐ空襲や機銃掃射などによって死は身近にあった。しかし、一旦戦争が終わってしまえば、生き残った歓びはあっただろうが、各地から相次いで戻ってくる兵隊たちをみて、黒澤はどんな気持ちだったのだろうか。そして戻ってきた兵隊たち(復員兵)は心に何かしらの傷を負っていた。
 戦争に行っていない黒澤は自分がまさにその当事者として、戦時中から終戦後へと移ってゆく世の中を目の当たりにし、そして生き続けていることに自己の罪をみた。それが黒澤をして贖罪意識を持たしめ、自分の作品の中に過剰なまでに心に傷跡のある復員兵を登場させている。
 黒澤はあれほど偉丈夫(身長は180センチを超えていた)にもかかわらず、どうして徴兵されなかったのか? それについて明確な回答は文書で残ってはいない。しかし本書では大胆な仮説を立てている。その仮説がなにかは本書を読んでみてほしい。それが本書のテーマに繋がるからここでは記さない。

 もし黒澤が戦争に協力した作品を作ったことに対して悔いているならば、戦後は平和と民主主義に沿った作品をつくっていればよい。実際に多数の映画監督たちはそうしている。しかしながら、黒澤はそのように前向きな前だけを向いた映画は作っていない。彼の作風は前述したように戦争で心に傷跡のある男たちを描いている。云ってみれば後ろ向きの映画なのだ。
 黒澤の人間を描く形は、もうひとつある。人間不信である。そして不信のまま終わらせず、最後は人間性の肯定、人間性の賛歌である。『羅生門』がその典型であろう。同じ事件に対して亡霊を含めた4人の証言者たちがすべて違ったことを主張している。自己に都合が悪いことを巧妙に隠して証言をしているので、観客は本当のところは何が真実かわからなくなる。人間不信。そして最後は杣人の志村喬に赤ん坊を抱かせて雨上がりの羅生門の前を歩かせ、人間を肯定して終わる。人間の肯定は実は黒澤に備わった資質であり、彼は徹底的に善人が好きであった。晩年まで俯瞰しても彼のすべての映画に共通したことは、人間そのものの肯定とそれに結びついた善人への両手を挙げた大肯定である。
 黒澤が人間不信を描いているのには、訳がある。東宝労働争議は熾烈を極めたようだ。昨日まで一緒に映画を作っていた仲間が、きょうは敵になりお互いを罵り合う。そして争議は、米軍も動員され、組合側の敗北に終わり組合幹部と共産党員は追放された。
 この体験が彼を一時的にしろ、人間不信に陥らせたという。残念なのはこの東宝争議についての客観的な記録がない、ということだ。本書の作者はそれを盛んに残念がっている。映画会社なのに争議の風景を写したフィルムが保存されていない。当事者が書いたものはたくさんあるが、立場によってみな云うことが違う。まさに『羅生門』の世界だ。
 さて、再度問うが彼の十字架とはなんだろう。贖罪意識はどこから来るのだろう。
 黒澤もまた同時代に生きた人間として、国民全員が巻き込まれた戦争を体験していること、しかしながら彼は徴兵されなかったこと。そして戦後の労働争議の体験から得たこと。それらが彼の贖罪意識に関わることは間違いないことなのだ。その意識こそ、深みのある作品を次々につくっていった、力の根源であると作者は云う。
 ひとつだけ。黒澤は自分に厳しい人であった。彼は最後まで「贖罪意識」があった。ということを申し上げておこう。
 本書の副題に「円谷特撮」とあるが、読み終わったとき、その副題に見合うだけの考察があったかどうか、よくわからなかった。確かに円谷英二や戦前からの東宝特撮技術の特徴は書かれているが、それと黒澤との関係がいまひとつピンとこない。執筆子の読解力がないからかもしれない。わかった人は是非教えてほしい。

黒澤明の十字架―戦争と円谷特撮と徴兵忌避

黒澤明の十字架―戦争と円谷特撮と徴兵忌避