『東日本大震災の人類学−津波、原発事故と被災者たちの「その後」』

 震災とそれに続く津波、そして原子力発電所の事故。これらトリプル災厄を外国の研究者たちが実際に現地に入りフィールドワークによって何を見て、何を感じ、どう思ったか。それをみてみるためのうってつけの本を見つけた。

 『東日本大震災の人類学−津波原発事故と被災者たちの「その後」』
  (トム・ギル ブリギッテ・シテーガ デビット・スレイター 編)
  (人文書院)(2013.3.11)

 13人の研究者による論文集。社会学や日本学の研究者たちである。震災後、いち早く現地に入り、救助・救援を手伝いながら人の中に入っていった。
 彼らの見たものは、二度と元通りには戻れないほど、人生が激変してしまった、人々の姿であった。

東日本大震災の人類学: 津波、原発事故と被災者たちの「その後」

東日本大震災の人類学: 津波、原発事故と被災者たちの「その後」

  • 作者: トム・ギル,ブリギッテ・シテーガ,デビッド・スレイター,チャールズ・マクジルトン,トゥーッカ・トイボネン,デイヴィッド・マクニール,池田陽子,森岡梨香,ネーサン・ピーターソン,アリーン・デレーニ,ヨハネス・ウィルヘルム,森本麻衣子,深澤誉子
  • 出版社/メーカー: 人文書院
  • 発売日: 2013/03/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログ (4件) を見る

 本書のまえがきに相当する、イントロダクションには、以下のようなことが書かれている。
 今般の震災は先進国であり、人口密集地域の日本で起こった災害だったので、世界史上最も記録された大震災と云えるであろう。たくさんの報道関係者が来た。そして身近な道具となったツイッターフェイスブックなどのSNSの威力によって、一般の人たちからもあっと云う間に全世界に情報が流された。その膨大すぎる資料を分析することはいまや不可能であろう。そのような使い捨ての情報ではなく、ある程度の時間を置いて現地に入り、そこで調査をする、そのような社会学者が必要である、と。
 本書は論文集である。そしてその論文ひとつひとつが、記録を残す、という使命感に燃えた情熱的な文章なのだ。
 また、日本人には気が付かないような外国人ならではの視点と考察に満ちている。
 例えば、被害を受けた人々が支援を拒んでいる。それはなぜか、ということを考察している問題がある。我々日本人は、支援を拒んでいるのは、東北の人々が慎み深いから、という理由からだ、と簡単に思ってしまっていたが、外国の研究者たちは、そうはとらなかった。そういう理由もひとつあるかもしれないが、一番の理由は、支援を受けてもそれを返すあてがない、ということだという。ギブ・アンド・テイクの習慣が日本人は極端である、と論証している。今回の大震災の被害者は何もかもすべてを失ってしまった。貰っても返すものがない。だから貰えない。支援を受けない。ということになる。もうひとつ。日本人は外と内を厳密に分ける。外に属する人と関わることに消極的なのだ。いわゆる島国根性。さらに三つ目。自分たちよりももっとひどい状況に晒されている人たちがいる。その人たちこそ支援を必要としている人なんだ、という遠慮がある、という。
 ひとつひとつがとても気持ちがいいくらいに、納得できる考察であった。
 この支援に対する日本人の態度、なかんずく東北の人の態度への考察をはじめとして、本書にはたくさんの新鮮な意見が満ちあふれている。
 福島原発のこともそうだ。我々は政府と東電が原発事故の封じ込めに失敗したことを知っている。そして日本のマスメディアは、どの報道も同じであったことも知っている。それは戦時中の大本営発表と同じだと揶揄されても仕方ない。この原発事故報道はあらためて、記者クラブという組織の中でしか取材を許されない日本のマスメディアの弱点がさらけ出された。一方、外国のメディアはどうであったか。彼らは事故の発生時に日本に来もしないで、勝手な憶測だけで記事を書いた。東京が危ない。日本から脱出せよ。と。
 本書では、現場に入り、現場の人に接して、冷静に材料を集めて、ひとつひとつ誤りを正している。地味なフィールドワークであるが、決して無駄ではない作業である。それを発表することの意義はとても大きいと思う。
 本書は400頁近い大著である。学者特有の難しい言い回しもある。しかし人に向き合う真摯な態度に心を打たれながら読み進めることができる。なによりも新しい視点に知的好奇心が満たされる、良書である。