『金田一家、日本語百年のひみつ』

 代々学者を生業にしている家は、わりと多いと思う。職業が世襲制だった江戸時代はむろん、明治の御代となってからもおじいさんもおとうさんも子どもも孫もみんな学者、大学の先生、という家は結構よく見かける。そんな一族の中でもその抜群の知名度で日本国内において最も有名な学者一族は、何といっても「金田一(きんだいち)家」ではかなろうか。
 祖父は金田一京助アイヌ語の研究者にして、言語学者民俗学者。そして国語辞典の編集者としてあまりにも有名であり、さらに石川啄木の親友として知られている。
1882年(M15)―1971年(S46) 享年89歳。
 父は、金田一春彦言語学者国語学者、全国の方言の研究者。
1913年(T2)―2004年(H16) 享年91歳。
 息子が金田一秀穂言語学者日本語教師
 1953年(S28)― 。
 父の春彦はテレビの教養番組によく出ていたし、息子の秀穂は、クイズ番組でお馴染み。日本語の権威と云ってもいい家に生まれて、その三代目という毛並みの良さでテレビ出演が多いようだ。
 その息子の金田一秀穂さんが、専門の国語および自分の家系をネタにした本を出版した。

金田一家、日本語百年のひみつ』(金田一秀穂 著)(朝日新書)(朝日新聞出版)(2014)

 本書は、まったく軽い読み物であり、速読に長けていれば、新幹線の東京名古屋間で読めてしまうと思う。難しい箇所は一切ない。そもそも本書は、書き下ろしではなく、筆者が過去に週刊誌などに連載をしていたものをまとめたものなので、一般読者向けの読み物なのである。決して学者による難しい論文ではない。まあ、発行元が朝日新書だし題名を見れば、それはわかるか。
 テレビで見る、金田一秀穂先生はいつでも機嫌が良い。良さそうに見える。そして活字媒体である、本書の文体ものびのびと明るいタッチに終始している。祖父からのプレッシャー。父からの重圧。・・・そういうものは絶対にあるに違いない。しかし、テレビでの氏の姿も、本書の文章の中にも、それは感じられない。見る側読む側にそういう悲壮感を感じさせない。姿は飄々としている。文章にも気負った処がない。それは金田一家のおそるべきDNAのなせる業なのか。それとも秀穂氏の素質なのか。先祖からの圧力が悪い因子となって体に入り込んでしまうのではなく、それをおいしい食べ物にしてしまい、むしゃむしゃと喰らいつき、自分の栄養にしてしまうような、そんな感じの文章の勢いなのだ。

 さて、本書の中身をすこし見てみよう。
 本書の前半は、いまどきの若者が使う口語についての軽い読み物風の考察。「ありえな〜い」とか「パニクる」とか「フツウにカワイイ」とか、そういう仲間同士の会話に挟まれる言葉をぶった斬っている。しかし、そこは秀穂先生。明るく爽やかに異議を唱え、にこにこしならが斬り刻んでいる。そしてさすがに学者である。最後にいいことを云う。曰く、
「・・・若者言葉を批判するオジサンは多いが、本当は、言葉ではなく、その中身を批判したいのであろう。問題は不十分な若者言葉によって伝えられる思考の深みのなさなのである。」
 言葉を遣うということは自分自身の思考そのものなので、簡単な言葉ばかりで表現していれば、思考自体が底の浅い簡単なものになってしまう。そういうことを憂いている。

 本書の後半は、秀穂先生による、祖父・京介先生と父・春彦先生の思い出話。
 三代目にとって、初代は仰ぎ見る巨人であるが、甘えられる対象でもある。一方的に甘えても叱られない。三代目が失敗しても初代は怒らない。京介先生と秀穂先生の関係もそんな雰囲気だ。しかし初代と二代目は違う。春彦先生は父である京介先生に相当しごかれたようだ。それに国語学の大巨人を父に持つ春彦氏のプレッシャーたるや、それはかなりなものだという想像はつく。京介先生が逝去したとき、春彦先生は、ホッとした表情を浮かべたことを秀穂先生は目撃している。重石が取れた瞬間であろう。
 初代が二代目に施した猛烈な教育は、大正時代から昭和初期のことなので、そういう時代背景もあろう。しかし二代目が三代目にした教育は、戦後ののびのびとした平和と民主主義教育の中で行われているので、厳しく指導する、というよりもむしろ穏やかに見守る、というところだろうか。そして三代目は颯爽と自分の道を歩いているが、実はそれは二代目がこっそり仕掛けたからくりに誘導されていることに気づかない。かくして気がつけば、三代目の国語学者が出来上っていた。
 学者の家のことがよくわかる良書である。また、日本語について考えるきっかけになる良書である。