『円朝ざんまい −よみがえる江戸・明治のことば−』(森まゆみ)

第4回 三遊亭圓朝という人

 明治時代の落語家、三遊亭圓朝という人は近代咄家の祖、とも云える人。また落語の長い歴史の中で中興の祖とも云える人。いまや落語の神様のように思われている人である。三遊派一門の最高の名跡は「三遊亭圓生」であり、この名跡は戦後まで継がれているが、圓朝の名前は今回小欄で語るこの明治の圓朝の他には前にも後にもいない。つまり重たすぎて誰も跡を継ごう、という者がいない、ということがその証左であろう。別格である。この人がどれくらい凄い咄家だったのか、以下かいつまんで簡単に列挙する。
 豊富な新作落語の創作
 人情噺、怪談噺を中心に、圓朝が創作した落語はどれも名作であり、駄作がない。しかも明治時代の新作落語であるが、それらはどれも現在まで人を変えて連綿と演じられている処から、古典落語といってよい。さらに、圓朝の噺は、演劇化される。人情噺の「芝浜」や「文七元結」など、怪談噺の「牡丹燈籠」「真景累ヶ淵」「怪談乳房榎」などは現在も歌舞伎で頻繁に演じられている。
 現在の口語文の創始者
 いわゆる“言文一致”という文体については、その運動の担い手たちとして坪内逍遥二葉亭四迷、山田美妙、森鴎外夏目漱石などなど明治の文豪たちが綺羅星のごとく名を連ねているが、そもそも三遊亭圓朝の噺を口述筆記してゆくことから始まった。つまり現在普通に我々が用いているこの“言文一致”のおおもとに位置するのは、この圓朝である。彼の寄席における噺をそのまま筆記することから、近代の日本語が始まったのである。
 まじめで穏やかで求道的な性格
 咄家に限らず芸人と云われる人々は、明治の初めまでまともな人間の数に入らず、極道者や無宿人と同様の扱いを受けていた。むろん彼ら芸人が自ら“呑む打つ買う”の三拍子揃った自堕落な生活を送っていたことがその主な原因であることは間違いない。しかしながら圓朝は、そのような芸人の生きざまを否定して、自らを律し、稽古や修行を心がけ、まともな生活を送ることを自分の旨とした。そのことによって、高位顕官たちに信用され、親しく交際をするようになり、天覧口演を実現させた。それらのことが、結果として圓朝ひとりのみならず、芸人=咄家たちの地位の向上に大いに寄与することになった。
 今回はこんな“偉大な落語家”三遊亭圓朝について面白く語られている書物を紹介する。

円朝ざんまい −よみがえる江戸・明治のことば−』(森まゆみ 著 平凡社(2006))
 著者の森まゆみさんは地域コミュニティー雑誌の草分けである「谷中・根津・千駄木谷根千)」の発行人を長く務めていた。谷中の全生庵圓朝墓所である。サブタイトルのような形になっている「よみがえる江戸・明治のことば」はあまり信用してはいけない。本書はことばを紹介する書物ではない。圓朝という人が創作した作品に関する書籍であり、一種の紀行文である。
 圓朝が創った噺の舞台となっている場所を訪ねる。噺の流れを追いながら、著者も噺の時間的経過とともに場所を移動してゆく。噺に登場する場所に立ち、時に薀蓄を傾け、時に疑問を投げかける。そこで人々に会い、話を聞いて、お酒を呑んで料理を食べて、そして帰ってくる。圓朝が創った噺のうち、15の噺について実際にその場所を訪ねている。その丁寧な取材に対してまず敬意を表する。そもそも著者の森まゆみさんは奥付に「趣味は人の話を聞くこと」と云っているくらいの人だから、他人と会うことに喜びを感じるたちの人であることがわかる。そのことが行間から滲み出ている。こういう性格の人はとても幸せである。自らにこにこと相手に接してゆけば、相手はたいがい胸襟を開く。加えてお酒が好きでしかも滅法お強いようである。これならば相手からは絶対的に信用されるであろう。本書でもお酒を呑む部分は滑らかな筆運びである。
 さて、本書『円朝ざんまい』。三遊亭圓朝の創作した噺には、すべてモデルがある。圓朝は湯治が好きであちこちの湯治場に行っているが、そこで仕込んだ話を自分の噺に昇華している。「霧陰伊香保湯煙」や「熱海土産温泉利書」がそれである。また実在の人物を取材してひとつの物語にしたものがある。「塩原多助一代記」がまさにそれであり、この噺とは別に、塩原多助の取材で歩いた場所についての「上野下野道の記」という紀行文も圓朝は残している。圓朝は元勲・井上馨公の知遇を得ているが、彼に同行してはるばる蝦夷地にまで足を延ばした。その時の体験から得た噺が「蝦夷錦古郷之家土産」であり、「椿説蝦夷なまり」である。むろん「文七元結」など江戸=東京が舞台となった噺も多い。
 いずれにしても、そこに見え隠れするのは、圓朝の人間観察の鋭さである。しかしこれはなにも圓朝に限ったことではあるまい。昔の人は今の人と違って人間の付き合いの密度が濃い。直接会って話をしなければコミュニケーションを取れない時代に生きた圓朝と、片や顔を見ないで話をする電話さえ掛けることをせず、自己紹介から発注、納品まで電子メールですべてを済ませてしまう現代人とは、こと人間関係に於いて同じ土俵で語ることはできない。濃密な人間関係の中でぐずぐずになった男と女、あるいは離れ離れになった親子兄弟、さらに固く結ばれた主従や師弟関係を圓朝は、縦横無尽に表現している。圓朝は濃密な人間関係を豊富な言葉で紡いでいる。そこには圓朝の学識の高さ、というか教養の深さがある。彼がただの咄家ではないことの証明であろう。森まゆみさんはその部分で圓朝に惚れたのだ。
 先月に語った『芸づくし忠臣蔵』では、著者の関容子さんが仮名手本忠臣蔵に惚れ、歌舞伎そのものを愛してやまない、そのエネルギーがこの本を完成させたと思う。同じように今回は、三遊亭圓朝という才能のあるひとりの男に惚れたことが森まゆみさんをして本書『円朝ざんまい』を書かせしめた、と云えるようだ。

最後になったが、もう一書籍ご紹介。
円朝の女』(松井今朝子 文藝春秋(2009))
 圓朝が登場する小説はたくさんある。古くは山田風太郎の『警視庁紙草子』に登場するし、辻原登の『円朝芝居噺−夫婦幽霊』などがある。本書『円朝の女』は最新の“圓朝もの”であろう。圓朝にかかわりのある五人の女について5章立てにして圓朝との関わりをフィクションでまとめた作品である。文章が細やかであり、しかも時折、頬を緩めてしまうような面白い表現でユーモアに富んでいる文章はまさに現代の滑稽本である。とは云うものの、男と女の関係はいつの時代でも、それが圓朝でさえも切なくて悲しい。

円朝の女

円朝の女

 今まさに空前の落語ブームのようである。少し前までお客の数よりも楽屋の芸人の数の方が多い、と揶揄されていたように閑古鳥の鳴いていた寄席も、いまや連日満席になるという。この三月に襲名披露した六代目三遊亭圓楽(旧名楽太郎)から遡ること六代で三遊亭圓朝に行き着く。明治の落語は今も普通に生きている。