『わたしの渡世日記』(高峰秀子)

第16回 大女優の半生記

 毎日みなさんはどうお過ごしなのだろうか。
 阪神淡路大震災もオーム真理教のサリン事件も9.11同時多発テロの時も大きなショックを受けたものの自分の中では時間は淡々と進み、取り立てて日常の行動に変化はなかった。しかし今回はもうなんだかわからないまま、時間だけが過ぎていく、という感じである。なにをしていいのか、わからない、ということがわかるだけだ。毎日が過ぎていく。でもその一日は3月11日までとは確実に違うのだ。地球がすこし震えただけで何万人もの人が犠牲になった。傷ましい。人間の無力さを想い、自然の偉大さを考え、原子力の脅威に怯える。停電に文明の脆弱さをひしひしと感じる。自分の無力さを自覚してそれを恥じるが、それから先、なすすべが見当たらない。仕事を休んでしまうわけにはいかず、しかし仕事はあまり前に進まない。東京の人はおおむね、被災者ではないが、被害者という微妙な立場が続いている。
 前回の3月10日号の分を脱稿したのが、3月8日。そして4月号の小欄用に拙者が選んでいた本を再読し始めたときに震災は起こった。

 『わたしの渡世日記』(高峰秀子 著)(文春文庫(上・下))(1998)(2011 11刷)

 昨年、暮も押し迫った12月28日に逝かれた高峰秀子さんのご冥福をお祈りしながらこの素晴らしい自叙伝について書くのを楽しみにして、再読していた矢先の大地震。冥土の高峰秀子さんもさぞびっくりしていなさることだろう。
 いま、ここに3月11日までとは確実に違う、と書いておきながら実は、自分自身の読書遍歴は大震災とは関係なく淡々と進んでいくのだ。その大きな矛盾をどのように説明していいのかわからない。ただ云えることは、どんな本を読まなければならないのか、ということを考えることはやめにした、ということだ。自分が前から読みたかったものを今後も読んでいこう。震災後だからといって特別なもの、気の利いた書籍を読まなければならないということはない。そういうものを小欄の俎上に載せたい想いはすこしあることは認めるが、それよりも純粋に読みたかった本を読むことにした。それが自分自身の中でいまだ乱雑になったままで整理がついていない震災後の心情の落ち着かせ方だろうと思うのだ。
 前置きが長くなったが、今回はこの『わたしの渡世日記』なのである。
 高峰秀子さんは大正13年(1924)生まれ。5歳のときにデビューしているから、芸歴はすこぶる長い。高峰さんと同世代でここ数年に相次いで鬼籍に入ってしまった名優たち。たとえば森繁久弥渥美清三木のり平小林桂樹池部良・・・・・・。彼らよりも芸能界に長く身を置いていた。それが本書の読みどころのひとつなのだ。つまりいまここに記載した人たちよりもさらに一世代、二世代上のいまや伝説上でしかお目にかからない戦前・戦中に活躍した役者たちのことが、彼女の少女時代の思い出として、たくさん書かれている。大河内伝次郎古川ロッパエノケン、徳川無声などなど、出てくる出てくる。読者は高峰秀子という媒体を通じて彼らと向き合うことができる。そして戦後。成人しても高峰秀子は主役であり続けた。大人になった彼女の交際範囲は映画界に限らない。川口松太郎谷崎潤一郎新村出、梅原龍太郎・・・・・・。
 こうした多彩な一流人たちとの交流風景も楽しく読むことができる。有名人同士の交友録は自慢話に流れてしまい、えてして鼻につく厭な文章が多いが、本書はそうではない。素直に楽しく読めるのだ。飾らない魅力的で素直な文章は、おそらく彼女の性格や性質をそのまま映していると思われる。彼女は明るく素直な性格だから、誰からも愛され、結果としてたくさんの人との交流ができたのではないか。
 本書のふたつ目の特徴は、映画俳優としての高峰秀子芸談、役者としての心構えが記されていることだ。世阿弥の『風姿花伝』を引用している部分もあり、不断から役者として並々ならぬ努力を怠っていないことを窺わせている。いい役者(本書では“自分の顔に責任を持てる役者”という表現を使っている)になるためには、どうすればいいか。本書で彼女は“やはり「勉強するほかはない」”と答えている。さらに、彼女は“「ものの心」を「人間の心」を知る努力をする以外にない。”と付け加える。人間の気持ちになる。その役の立場になりきる、ということだろう。人間を観察して人間になるのが役者の真骨頂である、というわけだ。そういう努力を怠らなかったからこそ、高峰秀子という俳優はいつも第一線に居続けることができたわけだ。いつも努力しているからこそ一流でいられるのだ。そのことを本書で確認できる。
 みっつ目の特徴で、実は本書の最大の読みどころは、高峰母子の物語である。彼女の母との一筋縄ではいかない複雑な関係を本書は赤裸々に綴られている。おどろおどろしい場面もある。彼女の母は生母ではない。彼女の実父の妹にあたる。つまり叔母だ。本書はその母との葛藤の物語である。その母子の関係を軸にして、東海林太郎夫妻が登場したり、初恋の人として黒澤明が出てきたり、そして最終的に彼女が結婚相手として選んだ松山善三がでてきたりする。下世話な表現で云えば、ゴシップの宝庫なのだ。母の無理難題、不条理と狂気がどれだけ彼女の足を引っ張り、そして大きな障害になってきたのか、読者である我々は、胸を掻きむしられる想いで本書を読み進めるのだ。
 しかし、彼女、高峰秀子は、本書の最後でこんな風に云っている。
「わたしは、くりかえし、母をそしり、恨み、憎しみ続けてきた。そこには一片の誇張も嘘もない。が、考えてみれば、私にこうした母がついていてくれたからこそ、逆に私自身が発奮し、生きることへのファイトも湧いたのだろうと思う。」
 これは本書の最後の章の最後に書かれている文章であるが、この時彼女は50歳。彼女の母は74歳。功なり名を成し遂げた高峰秀子が到達した気持ちは、すべてを赦すことだった。

わたしの渡世日記 上 (文春文庫)

わたしの渡世日記 上 (文春文庫)

わたしの渡世日記 下 (文春文庫)

わたしの渡世日記 下 (文春文庫)