『江戸っ子の倅』(池部 良)

第17回 ヴェテラン俳優の軽妙洒脱

 先月号では、昨年暮に逝った高峰秀子さんの著作(『わたしの渡世日記』)を紹介したが、今月号も同じく昨年亡くなられた役者、往年の大俳優池部良さんの著作を読んでみたい。
 池部良さんは昨年の10月8日に92歳で他界された。まさに大往生と云えるだろう。日本映画最盛期に数々の作品で主役を張り、最後の銀幕の大スターというに相応しい人だったという気がする。
 池部良さんは一方で文筆家としての名声もあった。氏が毎日新聞の日曜版に連載していた『そよ風ときにはつむじ風』は1991年に日本文芸大賞を受賞した。また死の直前まで文章を書いていたのは間違いがなく、『銀座百点』の平成22年12月号に載ったエッセイが彼の絶筆となった。そして今回選んだ本は氏の晩年のエッセイを収録した本を紹介しようと思う。その最後の作品である「銀座八丁おもいで草紙−歌舞伎座」も本書には登載されている。『そよ風ときにはつむじ風』もとても気になるが、それはまたの機会にしよう。

 『江戸っ子の倅』(池部良 著)(幻戯書房)(2011)

 池部良という俳優は二枚目俳優ではあるが、きれいな二枚目であって、汚い役柄もこなす二枚目ではない。・・・・・・という印象である。こちらは池部良の銀幕での活躍ぶりはむろん知らない。残された数少ないビデオやたまに上映される映画を観るしかない。そこに映っている池部良は男の私が観てもかっこいいのだ。池部良の作品で今観られるものが、きれいな二枚目のものばかりだからかもしれない。中にはひどく汚れた役柄の作品もあったかもしれない。ちょうど三国連太郎や緒方拳が演じた役柄の作品もあったかもしれない。でも池部良に関するものでそういうものを私は知らない。
 しかしながら、池部良の真骨頂は誤解をおそれずに云えば私の場合、映画の中にあるのではなく、エッセイの中にあると思うのだ。

 まず、言葉の選び方がうまい。たとえば俳優の佐分利信さんの声を形容するときに“あの磨りガラスの上を歩くような声”という表現があるが、その一文を読んだ時、私ははっはっはと笑ってしまった。そうめんのことを書いたエッセイがある。その中にこんな一文がある。“何んであんなに細長い麺を作っちまったのかと素麺を口にするときに、そんなどうでもいいようなことが執拗に頭を突っつく。”・・・・・・作っちまった、なんて東京の口語をそのまま使ってしまい、自分の頭の中に浮かんだことを素直に文字にしている感じがよく出ているし、また最後の頭を突っつく、という表現も憎らしいくらいに的を射ている気がする。引用はこのくらいにするが、ほかにも随所にたのしい表現がある。
 次に感心するのが、最後の一文の格好良さ、味わい深さであろう。池部良のエッセイの終わりは大抵の場合、短い一文で終わる。さらにその最後の1行を改行して書いていることが多い。本書に登載されているエッセイはおおむね今世紀になってからのものなので、本人が80歳を超えてからの文章である。したがって、ほぼすべてのエッセイが過去を思い出して書かれたものだ。あの時はこうだった、こんなだった。こうした、ああした。そして最後に現在の心情を短い文章でさくっと決める。なんとも心憎い文章術なのだ。読まれる、ということを意識していないとなかなか書けない文章を池部良さんはお書きになっている。若い時の池部良に対して賑やかなお父さんがああだこうだといろんなことを云う「伊豆の下田に旅した夜」というおかしみのあるエッセイがある。このエッセイの最後はこんな風だ。“こういうおやじを「父」と呼ぶには首を捻るが「おやじ」と呼ぶには相応しいと思ったことがある。ともあれ僕は素直に育っている。”・・・・・・味わい深い終わり方だと思う。ただし、これはまったく実際に読んでみないことにはわかるまい。
 池部良氏は、1918年(大正7年)生まれだから、1923年(大正12年)の関東大震災の時は5歳。そしてその時の記憶をもとに「おやじ・おふくろ・大地震」という題名のエッセイを書いた。諸兄姉のみなさんは5歳の時の記憶がおありだろうか。この一文を読むとその記憶は細かい部分まで行き届いている。目の前の無花果の太い木が大きく揺れ、バケツの水がこぼれているさまが、まるで昨日のことのように活き活きと描かれている。本書の三番目の特徴は、池部良氏の記憶力のよさである。齢、80歳を超えても5歳の時の出来事から大学時代、応召して兵隊として大陸や南方でのこと、俳優になりたての時のことや、監督・俳優たちの思い出などなど古いことをよくも見事に描写しているものだ、と感心することしきり。それらをあれなつかしや、と単なる思い出譚にとどめるのではなく、自分を突き放し客観的なまなざしで小気味のいい文章にしているのだ。江戸っ子の嫌う野暮とは対極にある粋な文章なのだ。
 氏は東京大森で生まれた。大学を卒業して東宝映画に入り翌年応召されるまで、その家に住んでいた。池部良氏のエッセイには少年時代のことを描いたものがたくさんある。私も現在大森の近くに住んでいるので、彼の住んでいた所はおおよそあのあたりだったのだろうと見当がつく。私が4番目の特徴として挙げたいのは、まさにそこにある。同郷のよしみ。というやつだ。時代の違いこそあれ、この道をこの人も歩いたんだ、と思えば親近感はいやが上にも湧くし、自然に贔屓にしてしまうものだ。
 彼が画家で風俗漫画家の池部鈞の長男であり、芸術は爆発している岡本太郎とは従兄弟同士だということは、池部良の作品を読む上で避けて通れない要素であるが、読めばわかることであり、そのことは詳しくは触れない。
 彼は既に泉下に眠ってしまったが、ニヒルな二枚目として出演している映画と軽妙洒脱な名エッセイによってこれからも我々を楽しませてくれる。そう思うとすこしだけ救われた気分になった。

江戸っ子の倅