『團十郎の歌舞伎案内』(市川團十郎)

第18回 團十郎の歌舞伎案内

 現役の團十郎十二代目市川團十郎が、2007年(平成19年)9月、青山学院大学において客員教授として「歌舞伎の伝統と美学」というテーマで集中講義をした。その時の講義を一冊の本にまとめたものがある。今月はそれを読んでみたい。

 『團十郎の歌舞伎案内』(市川團十郎(十二代目) 著)(PHP研究所)(2008)

 この直截的な題名がいい。市川團十郎が歌舞伎について語る、ということが題名をみただけでわかる。小説ではなく新書版の入門書だから当たり前、といえばそれまでだが、このキャッチャーミットにズボッと収まるような真ん中直球の題名にまずちょっとした感動がある。
 本書を紹介する前に、十二代目・市川團十郎についてすこし浚ってみる。團十郎丈は奇禍の多い人である。というのが愚生の印象である。高校生のときに父、十一代目市川團十郎を亡くした。その時は市川新之助を名乗っていたが、1969年(昭和44年)に十代目市川海老蔵を襲名し、そして1985年(昭和60年)に十二代目市川團十郎を襲名した。梨園の御曹司ではあるが父親という大きな後ろ盾のない彼はそれはよほど苦労したに違いない、と勝手に想像しているが、たぶんそれに間違いはないであろう。愚生は実際に團十郎襲名披露を歌舞伎座で観ているが、その時に現在は泉下に旅立ってしまった当時の大幹部たち(二代目松緑・六代目歌右衛門・七代目梅幸・十七代目羽左衛門・十七代目勘三郎など)から、口々にとは云わないまでも言外に“まったく未熟もので團十郎の大名跡を継がせるのは早すぎるけれども、親会社の松竹の意向だから仕方なく襲名に同意しますよ。その代わりもっともっと稽古させて精進させます。本人にはさらに自覚を持って頑張ってほしい。”というような雰囲気を感じさせる口上を聞いた。舞台中央で平伏している團十郎丈はどんな気持ちでこの口上を承っていたのだろうか。こちらは、偉いなァ團十郎さんは、と聞きながら思った。またこの時の口上では、最後に團十郎が“ひとつ睨んでご覧にいれます”と舞台から客席に向かって睨むのであるが、一所懸命にお稽古を重ねました。見てください。頑張ってますよ。という睨みで、その健気さに胸を打たれた。お客様の邪気を払うのが目的の睨みで、お客さんから同情をされるような睨みをしてしまった当時の團十郎丈は、それだからまだ團十郎襲名には早いんだ、とまたぞろ云われるに違いないが、その時から愚生は何を隠そう、当代團十郎を大贔屓にしているのである。
 その後はようやく順風満帆、というわけにいかないのが当代團十郎丈のつらい処。家の芸である「助六」こそ、團十郎丈の持ち役であるが、「勧進帳」の弁慶や「仮名手本忠臣蔵」の大星由良助などは決して当たり役とは云われないのだ。口跡が爽やかとはいえない団十郎丈はせりふがたくさんある役柄には向かないかもしれない、と思う観客たちも数多くいたに違いない。2004年(平成16年)に倅が十一代目市川海老蔵を襲名することが決まったのは嬉しい出来事であったが、その直後、白血病に冒されていることがわかり、海老蔵襲名披露公演も途中降板。約半年間の闘病後にパリ公演をこなすも翌年再発。2006年(平成18年)復帰会見。さらに2010年(平成22年)7月に倅の海老蔵が結婚し、こんどこそお家の大繁盛、と思ったら、その年の11月、記憶に新しいが、その海老蔵が“西麻布灰皿テキーラ事件”を起こす。次世代を担い、次の團十郎を確実に襲名するであろう、倅が不祥事を起こし、謝罪会見をする團十郎丈をみて愚生は、親としてそして江戸歌舞伎の総帥として、さぞやり切れない想いであったろうと忖度する。このように当代團十郎丈は波乱の人である。しかしながら、この幾重にも連なる苦労をひとつひとつ乗り越えている團十郎丈の芸はずっとよくなっている。父親の十一代目や倅の海老蔵に比べればずいぶんと遅咲きの大輪ではあるが、間違いなく当代團十郎丈は大きな大きな役者に成長していると思う。

 さて、前置きが長くなってしまったが、その團十郎丈の講義録である『團十郎の歌舞伎案内』についてである。
 本書は大きく三つの大項目に分かれる。一つ目は「團十郎でたどる歌舞伎の歴史」。歴代の市川團十郎を解説したもの。二つ目は「歌舞伎ができるまで」。歌舞伎が成立するまでの過程、いわば歌舞伎前史とも云うべきもの。三つ目は当代團十郎が手がけた演目のあらすじと解説とその役柄の演じる心構えを語ったもの。
 読み応えがあるのは一つ目と二つ目である。歴代團十郎の解説は江戸歌舞伎を知る上で格好の入門書となる。初代の荒事。二代目のせりふ術。四代目の実悪ぶり。・・・・・・など丁寧にわかりやすく解説されている。その歴代團十郎を語ることがそのまま江戸歌舞伎の案内になっている。そして当代の團十郎丈にとってみればご先祖さま、つまり身内を語る訳で、だからとても親しみを込めたものになっているのだ。客観的な説明だけでは終わらない。
 次の「歌舞伎ができるまで」は、日本の芸能史である。神楽、田楽、伎楽などを合わせて、吸収して、さらに能楽狂言と日本の芸能は発展していく。曲芸的芸能から言葉を多く使う芸能へ進化していき、それらが江戸時代に歌舞伎へと昇華されていく。その様子を團十郎丈は、ご自分の言葉を使って解説している。たとえば、西洋の舞踊と日本の舞踊を比較した部分がある。西洋的な動きは腰がまっすぐに伸びているが、日本の踊りでは、腰に力を入れなければ踊れないという。日本人は台地を踏みしめ大地の神からエネルギーをもらうからであり、西洋では神は天上に存在するものだから、という。・・・・・・なるほど、よくわかる。
 三番目の「役者から見た歌舞伎の名作ウラ話」は完全に歌舞伎初心者のための入門編になっている。少しでも歌舞伎を観続けている者にとって物足りなさは否めない。もともとが大学生相手の講義なのだから、仕方ないとも云える。「ウラ話」とあるからには、より以上の面白い話を期待してしまうが、印刷された書籍でこれ以上のウラ話は無理なことは少し考えればよくわかるというものだ。
 本書は、当代團十郎の歌舞伎への愛に満ちた書籍だ。人は愛すべきものを語る時、優しさに満ちあふれる。
 読後の印象はそんなことばに尽きるのである。

團十郎の歌舞伎案内 (PHP新書 519)