『トゥルー・グリット』(チャールズ・ポーティス) 

第21回 一味違う西部劇−True Grit−

 読者諸氏諸兄は、西部劇はお好きだろうか。おそらく男の子なら誰しも西部劇を観て、そこに登場する人物に感情を移入してしまったことであろう、と思う。出てくるカウボーイたちは誰もがテンガロンハットをかぶり、腰に拳銃がささったガンベルトをして(それも腰というよりもむしろ大きなお尻で支えているのだ)、拍車のついたブーツを履いている。歩き方、馬の乗りこなし方、拳銃の抜き方、撃ち方、それから酒場での酒の呑み方。喧嘩の仕方。どれもこれもさまになっていてかっこいいのである。とは云いつつも、あのスタイル、あの生活様式は体格が良くて足が長い白人であってはじめて成り立つものであり、彼らでなければああはいくまい。日本人はテンガロンハットすら似合わない人が多いのが現実なのだ。ならば、日本人は乗馬ならどうか。残念ながら、現代の日本において日常的に馬に乗って移動している人などという存在がほぼ皆無なのだ。狭い土地で土地を耕して生活していた農耕民族が馬に乗ること自体、めったにないことなのだ。そして近代交通網の発達により、移動手段としての乗馬はなくなった。現代日本においては、馬を見るのは競馬場。馬に乗るのは乗馬クラブで、それはお金持ちの優雅な娯楽となってしまった。そこへいくと、広大なアメリカ大陸である。カウボーイという職業はいまも存在するのだ。馬に乗ることが生活の一部になっているのは、さすがは騎馬民族の末裔が移民して作った国。
 今月ご紹介するのは、舞台は19世紀末の中西部が舞台であり、アメリカでは少女も乗馬をしている、という『トゥルー・グリット』という作品である。

 『トゥルー・グリット』(TRUE GRIT)(チャールズ・ポーティス Charles Portis)
(漆原敦子 訳)(ハヤカワ文庫NV)(早川書房)(1968初版)(2011日本語版)

 この作品は、西部劇の中でもちょっと変わっている。ひとりの少女が立派な大人をふたり従えて仇討ちの旅に出る、という話だ。少女が語り手であり、彼女が主人公なのだ。
 そしてもう、よくご存知のように、日本ではこの春に同名の題名で映画が封切られた。この作品は実は1969年にジョン・ウエイン主演で一度映画化されている。こちらの映画名は、『勇気ある追跡』という題名だった。どちらもストーリー運びは大筋でほぼ原作に忠実である。

 農場を経営している父親が悪党(トム・チェイニー)に殺された。14歳の娘(マッティ・ロス)が父親の仇を討つために保安官(ルースター・コクバーン)を雇い、同じく悪党トムを追っているテキサス・レンジャー(ラブーフ)とともについに悪党をやっつける、という筋である。
 この二本の映画を比較しながら、原作を味わっていこう。
 まず1969年の『勇気ある追跡』は、ジョン・ウエインの映画である、ということを云っておく。ハリウッドの大御所、ジョン・ウエインは本作でようやくアカデミー賞を受賞した。それまで彼は同賞には縁がなかった。実際に観ると、やや老いたりとはいえ、ジョン・ウエインはテンガロンハットにガンベルトがさまになっている。三船敏郎の二本差し素浪人姿がいかすのと同じくらいジョン・ウエインの保安官姿はかっこいい。映画はジョン・ウエインの一挙手一投足を丁寧に撮している。どの角度からの撮影も最終的にジョン・ウエインにズームインする。中西部の大自然を余すところなく描き、その中で華麗な馬捌きを見せるルースター・コクバーンに扮するジョン・ウエイン。アメリカ人が愛してやまない往年の名俳優の姿を見る。
 そして今年公開された『トゥルー・グリット』は、あの一筋縄では説明できない、ジョエル&イーサン・コーエン兄弟が監督をしている。主演のルースター・コクバーンを演じるのは、ジェフ・ブリッジス。西部劇のお決まりお約束の所作はすべて身につけた、ねっからのカウボーイだ。無論ジョン・ウエインに比べれば、醸し出されるオーラは少ないが、その分だけ映画そのものを楽しむことができる。
 ジョン・ウエインとジェフ・ブリッジス。40年の歳月を隔てて作られた同じ原作の二本の映画を見比べると、その時代時代に沿ったヒーロー像が浮かび上がる。ジョン・ウエインは明るく溌剌としている。一方のジェフ・ブリッジスは陰鬱として投げやりに見える。明るく輝かしい時代から暗く不透明な時代へと変化していることが主演者の姿を観るだけでよくわかる。作品自体も今般の新作の方がより悲劇性がある。というよりも、より原作に忠実なのだ。最後、マッティは毒蛇に手を噛まれる。そしてその手を切断しなければならなかった。それは父の仇を討った、その大きな代償なのだった。
 『勇気ある追跡』では残念ながらあまり印象に残らないテキサス・レンジャー(テキサス州警備隊)のラブーフには、『トゥルー・グリット』でマッド・デイモンが扮している。マッド・デイモン? アメリカ東部・アイビーリーグのエリート、という印象なのだが、これがどうしてどうしてなかなかの演技をしているのだ。
 原作の『トゥルー・グリット』にも書かれているし、1969年の『勇気ある追跡』にも今年の『トゥルー・グリット』にも表現されているが、テキサスの男の定義として、“喉が渇ききった時、馬の蹄の跡に溜まった泥水も呑んだことがある”という言葉がある。それがテキサスの力強いガッツある男の定義のように使われている。『トゥルー・グリット』のマッド・デイモンはまさに蹄の泥水を呑んで渇きを癒した男に相応しいのだ。
 さて、この“トゥルー・グリット=True Grit”について説明しなければならないだろう。日本語にすると、「本当の気骨」。「本物の勇気」。となる。
 父を殺されたマッティ・ロスは、犯人のトム・チェイニーを一緒に捕まえる男として、ルースター・コクバーンに当たりをつける。そしてマッティはルースターを選んだ理由を「あなたは本物の勇気(トゥルー・グリット=True Grit)がある人だと聞いたから」と云った。ルースターとマッティの出会いの場面である。彼女はルースターが手にしていた巻きかけの紙巻き煙草を奪い、紙の端をはがれないようになめて上手にくるくると巻き、さっとルースターに返す。原作でも映画でもこの場面がとてもいい。ルースターが14歳ながらマッティを仲間と認めはじめる大事なシーンだ。
 ここで読者および観客は、本物の勇気(トゥルー・グリット=True Grit)を持つ者は、ルースター・コクバーンである、と思うわけだ。
 こうしてマッティとルースターと途中から絡むラブーフの三人の奇妙な追跡の旅が始まる。ドラマでは本物の勇気を持つ者だと思っていたルースターは単なる酔っ払いのおっさんだったり、大言壮語を吐くラブーフは実際はたいしたことない男だったり、しっかり者の看板を下げ強がりを云っているマッティはやっぱり14歳の子供だったりと、三者三様、ドジを踏みながらの追跡の旅だ。
 しかしながら、原作を最後まで読み切り、映画を最後まで観続ければ、本物の勇気(トゥルー・グリット=True Grit)を持つ者が誰かは全員の心の中ではっきりするだろう。
 ネタバレ覚悟で云ってしまえば、三人とも本物の勇気(トゥルー・グリット=True Grit)を持つ者なのだ。三人ともが勇気を試される場面が最終章で出てくる。
 最後に一言。ロバート・デュヴァルという役者がいる。今や気骨ある老人を演じたら右に出る者がいないほどの名優であるが、彼は1969年の『勇気ある追跡』で悪党一味のボス役・ネッド・ペッパーを演じている。この悪党ネッド・ペッパー(ロバート・デュヴァル)とルースター・コクバーン(ジョン・ウエイン)の一騎打ちは、やっぱり西部劇ファンにはたまらないシーンなのだ。個性を持ち存在感のある役者は素晴らしい。
 もう一言。原作者のチャールズ・ポーティスは、1933年生まれで、朝鮮戦争に従軍経験があるという。それでだと思うが、人が無念の中で苦しみながら死んでいく場面が圧倒的に迫力がある。その場面。“ラブーフがカップに水を持っていってやった。ムーンは血まみれの手を伸ばしかけ、すぐにもう片方の手でカップを受け取った。彼は言った。「まだ指があるような気がするが、もうないんだな」ムーンは水を飲みすぎ、そのせいで苦しみだした。また少し何か言ったが、とりとめのないしゃべり方で、何を言いたいのかわからなかった。問いかけには答えなかった。その眼の奥にあるのは狼狽だった。まもなく、ムーンは息をひきとって死んだ友人のところへ行ってしまった。そのからだは、三十ポンドも軽くなったように見えた。”・・・・・・背中が粟立つ。人の死はこんな風なんだろう。

トゥルー・グリット (ハヤカワ文庫 NV ホ 16-1)

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