『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(ジョナサン・サフラン・フォア)

第27回 9.11とオスカー少年

 いよいよ、3月11日がやってきた。気分的に居ても立ってもいられない。1年経ったが、政府のやることはあまりうまくいっていない感じがする。被災地ではなにもかもに対して人手不足を感じるのだ。人がもっと参加しなければいけない。国民ひとりひとりが前向きに。その足を引っ張っているのが原発事故だよ。この事故は本当に痛恨の極みだ。それはこの時代を生きている我々の共通認識であると同時に万代まで、事故に対処できなかった恥を受けなければならない。その覚悟が我々ひとりひとりにあるのだろうか。がれきの処理くらいみんなで負担すべきなのだ。まだ生まれていない子孫たちはきっとみている。
 今年の米アカデミー作品賞にノミネートされた作品の中に、「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」という題名の作品が入っているのに気づいたのは、いつのことだったか。その奇妙な長い題名の映画は2011年9月11日の米国同時多発テロで家族を失った男の子の物語だという。そしてこの映画が東京では2月半ばから上映されていたので、早速公開初日に観た。観終わって感動し、その足で映画館の近くにある本屋に寄って原作を買った。原作も映画の題名と同じ題名で、とても分厚い本だったし、中身にいろいろな仕掛けが施されていて楽しい。また日本語訳もこなれていて読みやすい。だから、映画の感動の余韻に浸っている期間に読み終えることができた。
 今号はこの本をご紹介しよう。

 『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(ジョナサン・サフラン・フォア 著)
近藤隆文 訳)(NHK出版)(2011)
 『Extremely Loud&Incredibly Close』(JONATHAN SAFRAN FOER)(2005)

 原題を読むと、まったくそのままにしかも現代日本語らしく、とてもいい訳であることがわかる。“ありえない”という言葉がいい。この“ありえない”という単語は最近よく耳にする。年寄りではなく、若者が喋る言葉に頻出するような気がする。それはむろんその前にある“ものすごく”という単語も同じだが、こちらの単語はたぶん半世紀近い歴史がある。それに比べると“ありえない”が騒々しく使用されるようになってまだ数年しか経っていないのではないか。我々大人は未だに“ありえない”とは云わず、“信じられない”と云う。
 この饒舌なタイトルに打ちのめされながら映画を観て、原作を読んだ。
 物語の主人公は、9.11で父を亡くしたオスカーという名の12歳の少年。この手の物語に登場する少年と同じように、知能は高いがやや集団生活に難がある子なのだ。オスカーの場合は9.11以前から精神的な病気であり、はっきりと病名は書かれていないだがアスペルガー症候群の症状が出ている。そもそも題名の『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』は、こうした症状の人が感じる感覚なのだそうだ。さらに9.11後、オスカーはPDST(心的外傷後ストレス症候群)にも陥る。
 オスカーは父・トーマスが大好きだった。トーマスはオスカーにとって、父であり同時に師匠であり、さらにまた同志であった。オスカーはトーマスとともに存在し生きていた。“レゾンデートル=存在意義”という言葉を早熟なオスカーは使うが、これはオスカーが父・トーマスと過ごしていたその日々について断片的に想ったことを語るときに使用した言葉であった。オスカーはトーマスが自分の一部であることを、9.11以前から認識していた。オスカーはトーマスからあらゆることを教わっていた。しかも子供扱いせずに対等に接してくれた、と感じていた。
 この日常が2001年9月11日に破られる。学校は早じまいとなり生徒たちは帰宅する。帰宅したオスカーは留守番電話に父の伝言が5つ残されていることに気づいた。父はツインタワーの108階にいた。なぜ、オスカーはPDSTになったのか?それはトーマスから6番目のメッセージが留守番電話に登録されていたからである。この5つともう1つの伝言をオスカーはひとりで抱えてしまった。
 トーマスはビルの崩壊と共にいなくなり、遺体もでない。
 それから1年後。オスカーが心に受けた傷は癒えない。が、1年ぶりに父の寝室と衣装部屋に入った。母は父の部屋をそのままにしていた。戸棚に置いてある青い壺。その中にBlackと書かれた一片の封筒があり、さらにその封筒には1本の鍵が入っていた。この鍵はどこを開ける鍵なのか?Blackとは何か?人の名か?色のことか?そもそも父はなぜこの鍵を持っていたのか?
 オスカーは鍵の入った封筒を持って文房具屋と鍵屋へ行く。文房具屋ではBlackと書いたペンを調べに。鍵屋ではその鍵はどんな種類の鍵なのかを調べに。鍵屋ではたいしたことはわからなかった。しかし文房具屋では進展があった。ふつう人は試し書きのとき、色の名前を書く。そしてそのペンの色で書く。黒(Black)は黒色で書き、青は青色で書く。しかし封筒のBlack(黒)は赤色で書かれていた。したがって、このBlackは黒色ではなく、人の名、ブラックさんである、と店員は推理してくれた。鍵はブラックさんのものだ。
 ここからオスカーによる、ニューヨーク中のブラックさん訪問が始まった。これがオスカーにとって父とつながる旅であり、父への鎮魂の旅なのだった。
 たくさんのブラックさんと会い、お父さんのことでお悔やみを云われ、話をした。しかし肝心の鍵はどこを開ける鍵かはわからなかった。
 この鍵が誰のものかは、最後にわかる。そこにもひとつの物語がある。
 そしてオスカーはこの旅を通じて大きく成長する。父の喪失を乗り越えることができた。
 原作では、心に傷を負ったオスカーの物語と同じくらいの分量で、オスカーの祖父母の物語も語られている。祖父母は戦後ドイツからの移民で戦争中はドレスデンに住んでいた。ドレスデンは連合国から度重なる空襲を受け、祖父母はそれぞれ身内を亡くしていた。その後、偶然ニューヨークでふたりは出遭い、結婚した。そしてトーマスが生まれる。しかし祖父はトーマスが生まれる前に蒸発した。祖母はトーマスと共に過ごし、今もオスカーの家の向いに住んでいる。そしてこの祖父母の物語は、ふたりが書いた手紙という形で語られる。祖父は逢うことがなかった息子へ。祖母はかわいい孫のオスカーに宛てて。
 祖父母は戦争という自分たちでは解決しようのない出来事で身内を失い、オスカーはテロというさらに理不尽な事件で父を失った。
 この物語は喪失と再生の物語だ。
 これは見事に今の日本の状況に通じる。共感をもってこの物語をむかえることができる。
 映画では、この祖父母の物語は匂わすだけで本格的には語られていない。映画は徹底的にオスカーに照準を合わせている。
 物語は母の存在が希薄である。しかし最後に母はそこにずっといたのだ。ということがわかる。そういう物語になっている。
 映画では、父・トーマスはトム・ハンクスが演じ、母はサンドラ・ブロックだ。トム・ハンクスは当然の配役として、サンドラ・ブロックほどの大物が母を演じるのはなぜ?と思いながら映画を観た。しかし最後になぜサンドラ・ブロックだったのか、がわかる。彼女の抑えた演技が見ものだ。

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い