「城壁の下で」(シアター・ブロック)

 「城壁の下で」 劇団シアターブロック公演 於 明石スタジオ(高円寺) 19:00〜
  (タンクレード・ドルスト原作・1971年) 中村依子さん出演。
 タンクレード・ドルストという劇作家のことは知らなかった。しかしこの芝居を観れば、このドルストがどれだけ非凡な作家なのかがよくわかる。
 アジアのモンスーン地帯の架空の国の物語。戦争の不条理を描いた本作は、まさに不条理劇の真骨頂といえよう。とてもよくできた戯曲だと思う。極端に少ない登場人物。客席側を城壁に見立て、2階席の将校や兵隊と舞台上の女のやり取りから芝居が始まるのは観客としてはいやが上にも緊張感で盛り上がった。
 戦争を題材にしているので、観ている側も人間が極限状態になることを期待して観る。背景や装置を極端に削り、役者の間合いと台詞で勝負する正統派の芝居だ。そして何よりも感心したのは、究極の“劇中劇”である。なかったことをあったように演じる。失敗すれば死が待っている。そんな極限状態。ある意味上質なミステリーを読んでいるような快感があった。
 役者は演出家の指示通りに演じる、ということであれば、女を演じた女優の違いによって、その演出方法が違っていたのかどうか、そこに興味がある。日を違えてふたつの舞台を観た(7/14と7/16)。どちらも自然に流れ、台詞廻しや演技にぎこちなさはなく、自然に流れていて両方ともとてもいい舞台だった。しかしあとから思い出せば、同じ箇所で間合いが全然違う処も多々あり、すこし驚いた。ダブルキャスト・トリプルキャストの面白さは、そういう処にある。現場で実際にワークショップを観ているような緊張感がある。演じた女優さんたちは比較され批評され、自分たちの演じた舞台を2度3度観ている観客たちに賽の目にされみじん切りにされ、徹底的に丸裸にされるので、緊張感もひとしおだろうと推測する。たいへんだ。
 戯曲の中で難を云えば、ひとつだけ。最後に女に反戦、反権力、反政府、厭戦を目一杯語らせているくだりは、すこしうんざりした。この戯曲が発表された当時はそういうアジテーションが共感を持って迎えられたのかもしれないが、残念ながら現在はそんな時代ではない。おそらく現代の戦争は“グローバルなもの”との戦いなので、あの長台詞にあまり感動できなかった。意味を見出せずに終わりを迎えてしまう。
 洪水の屋根の上で歌う子守唄がいい。
 やっぱり、この芝居の成功の最大の功労者はふたりの将校であろう。恐怖と絶望の中にどこかコミカルな味わいもあって、あれはすべて役者さんの力量に違いない。そして間のとり方。芝居は“間”にある。という金言をあらためて思い返した。