23年度の打ちあげ

 平成23年度のPTA役員の打ち上げに招かれた。
 この日は、17:00以降もそれがし職場で仕事をしていた。年度末だしそれなりに仕事がある。そしたら、Y現会長から電話がきた。先週の顧問会の酒席で、今日の会があることは聞いていたが、正式に誘われているわけではないので、こちらから連絡することではない、と判断していた。けれど、Y 現会長は、「どうしたんですか?」と電話口で云うではないか。
 ………
 まあ、そんなことはどうでもいいこと。宴もたけなわ、そろそろお開き、なんていう時間にようやく店に到着。遅れた言い訳と引き続き、新会長としての挨拶をさせられる。ほとんど酒呑まないうちだったのが、逆に良かったのかもしれない。
 この挨拶の時、なんで会長に推されたんだろう、とあらためて考えた。考えた。というよりも瞬時にその疑問とそれに対する回答が頭の中を駆け巡り、そして酒の席とは云え、その疑問と回答(Q&A)を校長も副校長も役員もいる席での挨拶とした。
 以下、箇条書き。
 1 恩師のS先生は、それがしが中1と中3の時の担任であり、6年前までこの中学校の校長である。その関係を知っている人が推薦した、ということは考えられる。
 2 昨年の震災以降、災害ボランティアに行っている。PTA活動は、日常における究極のボランティアだ。災害ボランティアをやるんだからPTA活動もできるだろう、という判断が働いて推薦された。
 3 一昨年、中学校の同窓会を開いた。いままで行ってなかったので、準備段階から何度も寄り合いを重ね、結構たいへんな事業になった。その時に上記のS先生に誘われ(半ば命じられ)、同窓会の幹事団の一員として末席に連なった。それを覚えている人は多いかも。
 4 わが中学校には、“おやじの会”というものが存在しない。理由はいろいろあるが、“おやじの会”は商業地域にある学校ではまあまあ成功するが、住宅地にある学校ではたんなる仲良しグループになってしまい、あまり成功しているとは云い難い。その理由はさまざまだが、別の機会に譲るとして、ここでは割愛する。わが中学校は典型的な後者の類型の学校である。しかし昨年から、Y会長の肝いりで“おやじの会”のような拘束力のある集まりではなく、もっと緩い、でもいざという時には、子供たちや学校に対して大いに頼りになるような集まりを作り始めた。運動会など学校行事での校外見廻り。盆踊りやお祭りなど近隣神社の催しでのパトロール。PTAの球技大会(バレーボールや卓球)の応援など、男手があった方がいいな、という諸行事のときにちょっとだけ出動するチームである。そういう男たちの集まりなのだ。名称を“サークルF”という。“F”はFatherのFだ。話が長くなっているが、それがし、昨年来のその“サークルF”に引っかかってしまった。この“サークルF”に参加して、パトロールやら応援やらを少し手伝った。それだから、いま実際に目の前に座っている役員のお姉さま方に顔と名前を知られている。………このことが会長選出の最大の理由かも知れない。
 蛇足ながら、一言添えれば、昨年の震災とこの“サークルF”への入会は決して別々の出来事ではない。震災がなければ、サークルFには入会していない。それは明らかだ。人間はひとりでは生きていけず、必ず助けあって生活していく、という考えがあったからこそ、サークルFに入ったわけだ。たぶん。
 そして、以上の4点をかい摘みながら自分の紹介をして、挨拶代わりにした。
 この挨拶が、なんとなく自分で今回の会長職就任への自分の定義付けになったのはよかった。この4点を常に念頭に置いて、会長職を全うしていきたい、と思うようになった。
 そんなことを思いながら、自己紹介を兼ねた挨拶を終えた。
 ………
 それにしても、PTAの役員、という人々を初めて間近に見た。たぶんそれがしも彼女たちに散々観察されていたのだろう。座に着いてから終始視線を感じていた。
 早々に一次会は終了。T校長とS現会長と三人での二次会は、近くの中華の店。そして現会長と地元に戻り、駅裏のバーで三次会。何喋ったんだろう?……あまり記憶が定かでない(汗)。帰宅は完璧に午前さまになってしまった。