「リチャード三世」

「リチャード三世」(子供のためのシェイクスピア) あうるすぽっと 19:30〜
 「リチャード三世」は、シェイクスピアの作品の中で最も上演回数の多い戯曲なんだそうだ。実際にこの“子供シェイクスピア”シリーズでも扱うのが二度目になる。そして前回も今回も山崎さんがリチャード三世を演じ、人形は左手の瘤であり、障害者の象徴になるのも同じ。人形を障害の象徴にする、というアイデアはまったく秀逸だと思う。素晴らしい。そして前回の演出はもう忘れてしまったが、今回はこのリチャードが多重人格障害になっていて、左腕の瘤を人に見立ててそれに話しかける。話しかけるだけではなく、瘤が受け答えもする。リチャードの中にふたりの人間が同居している。普通の常識的な気持ちを持つリチャードと猜疑心と嫉妬心の強いリチャード。ふたりのリチャードが問答しながら、王国を滅ぼしてしまった。対話(ダイアログ)してしまったから極端に走った。対話からは何かしらの結論が導かれてしまう。リチャードが多重人格障害でなく、どちらかひとりの人格だけだったら、もしかしたら内乱は起きなかったかもしれない。以上は今回の「リチャード三世」を観て、私の想像である。
 「ヘンリー六世」では、国王ヘンリーがあまりにも厭戦的であり優しい性格だったために周囲につけこまれ自滅し、国を滅ぼした。「リチャード三世」では、リチャードの多重人格障害が国を滅ぼした。両方とも極端な性格が災いした、ということだ。ふたつの芝居を観ながら権力について、しみじみと考えてしまう。
 今回は英語を自在に操れる佐藤真希さんがいるので、あの有名なリチャードの最期の台詞を英語で云う試みがあった。「A horse! a horse! my kingdom for a horse! 」最初の最初にこの台詞。流暢な英語過ぎて、何を云ってるのかわからなかったが、すぐに「馬をもて、馬を。代わりに我が王国をくれてやる」の台詞だということがわかった。この最期の台詞を冒頭に持ってくる処がにくい演出。芝居の最後に同じことを繰り返すので、リチャードの悲劇性が際立つ。本来なら、あれだけの悪行をしでかしたリチャードのことを憎しみ、殺されて当たり前だ、と思うものなのだが、なぜか、最後は悲劇的に映るのだ。最高権力者にまで昇りつめた不具の男の哀れな最期。そういう印象で終わる。したがって、リッチモンドが勝ち、チューダー朝が開かれる、という明るい終わり方に逆に違和感を覚えてしまうのだ。リチャードの悪行はともかく、正統な王朝はどちらなのだろう?と考える。
 この芝居の台詞でもうひとつ印象に残るのは「絶望して死ね」。これでもかこれでもか、と亡霊たちに悪行の数々の報いを受けるリチャード。観ている我々もどんどん絶望していく。
 実際、本当によくできた芝居だと思う。登場人物に無駄がなく、ひとりひとりに存在意義がある。