『瓦礫の中から言葉を』(辺見庸)

第32回 東日本大震災関連(その5)・・・・・辺見庸の憂鬱

 作家の辺見庸氏は、宮城県石巻市出身である。その辺見氏がNHKの番組(こころの時代 瓦礫の中から言葉を−作家・辺見庸)に参加した後、彼なりの3.11論を書き下ろした作品。

 『瓦礫の中から言葉を −わたしの〈死者〉へ−』(辺見庸 著)(2012.01.10 第1刷)(NHK出版)
 あとがきに明記されているが、本書のテーマは「言葉と言葉の間に屍がある」ということと、もうひとつ、「人間存在というものの根源的な無責任さ」ということである。
 あの震災の後、ほとんどの知識人は、一時的に失語症に陥った。その状況を本書の中で辺見氏は“内面の決壊”ということばで表現している。
 それはつまり、あの惨劇をしっかりと両の眼で見ることを拒み、想定外と表現して、考えることを止めてしまったからだ。
 時間は流れている。そしてその時間は人間の営みに関係なく流れている。地震があろうが巨大隕石が落ちようが、そんな事象にかかわらず、時間は流れている。宇宙規模の話だ。
 辺見氏は云う。“宇宙の時空間のなかにあり、わたしの心身の内部にも宇宙の広がりがある”。それはつまり今回の震災は宇宙的な現象に直接触れることができたわけで、そう考えなおして、そのように大きな視点でみることをおぼえた時、辺見氏はようやくことばを取り戻したのである。
 それから辺見氏の批判はマスメディアに向けられる。今回の震災は「死」を隠した。「屍」をすっかり消し去った。新聞もテレビも死体を表現せず写さなかった。“屍体のリアリティを消し”さった。なぜ、そうするのかわからない、と辺見氏は云う。
 確かに過去の災厄である、関東大震災や戦争の空襲被害の惨状ではもっと屍体があった。屍体が表現されていた。それら過去の惨状を直接経験していない我々は、当時のさまざまな表現によってその現場に立たなくても屍体がある風景をみることができる。しかしながら今回の震災では、まったく屍体が見当たらない。これだけたくさんの映像があっても、屍体はない。少なくとも東京にいてメディアでしか震災を見ることができない人々には、屍体が存在しなかった。
 さらに現代の日本では、屍体を隠すどころか、その上に何重もの覆いをかけてしまったような、“言語の地殻変動”が起こった。と辺見氏は指摘する。
 「やさしさ」や「思いやり」、「なかま」など耳に心地よい言葉が氾濫した。「氾濫」ではなくまったくそれだけしか存在しなくなってしまった。他の言葉は意図的に排除されたような状況であった。つまり言葉の戒厳令が敷かれてしまったのだ。
 過剰な自己抑制。良くも悪くも日本人の特徴だと思う。今回はその感情の抑制が言葉へと向けられたため、“表現の縮小”が起こった。原子力発電所メルトダウンを起こしているのに、最後までその言葉を避け、それに付随するあらゆる表現を抹殺してしまった。それが結果として国民に嘘を知らせることになった。事実を伝えるのも、心象を表現するのも、そして現実を糊塗し歪めるものすべて言葉なのだ。
 言葉が本来の目的を失ったとき、“表現の縮小”が起こる。あるいは、“表現の縮小”が始まると言葉の持つ力が損なわれてしまう。
 3.11後のそのような状況を、辺見庸氏は「言葉と言葉の間に屍がある」と表現したのだろうと思う。
 ふたつ目のテーマに移る。「人間存在というものの根源的な無責任さ」について考察していこう。
 本書の後半では、40年前の著作物である、堀田善衞氏の『方丈記私記』をたびたび引用している。

 『方丈記私記』(堀田善衞 著)(1971.7.10 初版)(筑摩書房
 さて、この『方丈記私記』という本であるが、約800年前の著作物である、『方丈記』(鴨長明)を読み、堀田自身の体験に照らし合わせ、『方丈記』を読解している本である。
 云う間でもなく、『方丈記』は鴨長明が震災や疫病、旱魃、戦乱で千千に乱れたこの世を観察し、わかりやすい文章で書かれた随筆だ。これだけ災害の多いところに住んでいる日本人が持っている本当の災害文学は『方丈記』だけである、というようなことを3.11以降、誰かがどこかに書いていた記憶が愚生にはあるが、『方丈記私記』に引用されている部分だけをみても、その描写は簡潔にしてしかも詳細なのである。
 「火の光に映じて、あまねく紅なる中に、風に堪えず、吹き切られたる焔、飛ぶが如くして一二町を越えつつ移りゆく。その中の人、現し心あらむや」
 この文章を読んだだけで、その様子がどれほどひどい火災だったかがよく分かる。『方丈記』は「行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず・・・」という最初のくだりばかりが有名であるが、中身もなかなかなものだった。
 堀田善衞(1918(T7)〜1998(H10))は、関東大震災東京大空襲も知っている世代であり、『方丈記』に自分の経験を照らしている。
 ひどい経験、悲惨な災厄を嘆くことはもちろん、人間として悪くない。それは普通の感情表現であろう。しかし、堀田は『方丈記』の中に、鴨長明がそういう感情だけではなく、もっとさばさばしたもの、あっけらかんとしたもの、達観した感情、観察者の視点をみた。
 その『方丈記』における長明の感覚を堀田は“野次馬根性”と云ってのけた。なんでもみてやろう。すべてを知っておこう。という感覚だ。
 そして堀田善衞自身の体験に照らし合わせている。空襲で町が消滅した時にどれだけの人が「みんな焼けてしまって、かえってさばさばしました」という感想を持ったことか。すべてが滅びて、また零から始められる、という楽観である。堀田氏はそこをなんども強調し、天皇制にも言及し、今となってはやや古めかしくなった階級闘争を『方丈記私記』の中で表現している。それはすこし鼻につくのであるが、しかしすべてを失った後の潔い気持ちには共感を覚えるのだ。
 そして、辺見庸氏に戻る。鴨長明の『方丈記』を読んだ、堀田善衞は『方丈記私記』を書き、それを読んだ辺見庸は、『瓦礫の中から言葉を −わたしの〈死者〉へ−』を書いた。そして『方丈記』と『方丈記私記』の中に流れる、そのさばさばした感じ。“根源的な無責任さ”を辺見は痛感した。それは、その無責任さはつまり、人の不幸に何の責任も取れない自己の存在がある。私は他人の不幸についてなんの責任も取れない存在物であると云い、そして、辺見氏をしてこの「わたしは」を「人間は」ということによって、悲しみやつらさを薄めたり散らしたりしたくない。と云わしめている。悲しみの分散をしない。このことが、「人間存在というものの根源的な無責任さ」の正体であるのだ。それは『方丈記』の冒頭の文にも通じるだろう。

瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ (NHK出版新書)

瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ (NHK出版新書)