「芭蕉通夜舟」

 「芭蕉通夜舟」(井上ひさし紀伊國屋サザンシアター 08/23 19:00〜 坂東三津五郎
 登場人物は松尾芭蕉ただひとり。そして舞台の補助を務める狂言回しが数名。黒子姿だが、解説や説明をするときは素顔になる。三十六句の歌仙にちなんだ全三十六の場面で芭蕉の生涯を描いた作品。ただ漫然と彼の生涯を描いたのではない。芭蕉が悩み苦しんだ末に俳句を芸術作品にまで高めた、その過程を描いている。戯曲の作者の創意工夫と演じる役者の力量を存分に感じさせる舞台だった。三津五郎は踊りの上手い役者だけあって舞台でも自在。飄逸とおもしろそうに演じている。三十六の場面は、作者の井上ひさしが練りに練ったものであり、俳聖・芭蕉がどのように苦しんで俳句を作っていったか、を井上ひさしの卓抜な想像力で描いている。黒子の狂言回しを除けば、ほぼ一人芝居なので、台詞が棒読みにならないようにいかに腐心しているかが、観客にわかってしまったらいけないのだが、三津五郎にそんな素振りや癖はひとつもない。独白のとき、相手のあるとき、いろいろな場合があるこの芝居で、三津五郎はその柔らかい身体を充分に生かし、また生来の響きがよくきれいな発声で務めている。舞台という限られた空間を物ともせず、そこに芭蕉翁の魂でも宿っているかのような名演だった。この芝居は演じられる人が限られるのではないか。俳聖に感情移入するためには、俳句を嗜んでいなくてはならないだろう。少なくとも17文字と季語の縛りを俳句のルールとして心底理解していないといけないだろう。初演は小沢昭一という。この芝居は井上ひさし小沢昭一のために書いた戯曲だったのかも知れない。それはそれで小沢昭一芭蕉の姿を観たかった気もする。