『震災後のことば−8・15からのまなざし』

 昨年末から今年初めにかけて新聞社の文芸担当編集員が70年前の戦争も経験しているようなヴェテラン文学者たちに今度の震災についてのインタビューを試みた。その記録を紹介しよう。結論から云うと、老人たちは絶望しているようだ。ほとんど楽観はしていない。

 『震災後のことば−8・15からのまなざし』(宮川匡司 編)(2012.4.23第1刷)(日本経済新聞出版社

 本書に登場するヴェテランを紹介する。
 吉本隆明大正13年(1924)生)・・・詩人・文芸評論家
 中村稔(昭和2年(1927)生)・・・詩人・弁護士
 竹西寛子(昭和4年(1929)生)・・・作家・評論家
 野坂昭如(昭和5年(1930)生)・・・作家
 山折哲雄(昭和6年(1931)生)・・・宗教学者・評論家
 桶谷秀昭(昭和7年(1932)生)・・・文芸評論家
 古井由吉昭和12年(1937)生)・・・作家

 本の登載順も生年順に並んでいる老作家たち。彼らは皆、昭和20年(1945)8月15日を体験している。ひとつの時代が終焉し、次の時代が到来するその現場を経験し、その後の長い平和な時期に功成り名を得た彼らは、平成24年(2012)時点でほぼ80歳を超えたその道の泰斗であり重鎮である。そして8.15を経験した彼らが再び今回、平成23年(2011)3月11日を経験した。ひとつの人生で二度の大災厄を経験するとこいうことは、なによりも長命であることが絶対条件だ。死と隣り合わせになっているが、自分自身は死ななかった。彼らに云えることは「死」を乗り越えている、ということだろう。自然な死ではなく、無駄な死、不条理な死、理不尽な死、死んではならなかった死。これらを身近にみてしまった人のことばはいつも重い。
 そして今回の災厄。老人たちはこの平成23年の災厄をみて、何をどう思っているのか?日本人の資質をどう感じているのか?ことばはどうなっているのか?生活はどう変化したのか?などの事柄を知りたくて本書を手に取った。
 インタビュー形式。編集者が質問して、それに御大が答える。ときどき質問者が自分の意見を云い、御大はそれに応じる。本の体裁では、質問者がゴチック体で印刷され、回答者が明朝体となっている。また、内容的には回答者の明朝体の分量が圧倒的に多い。つまり質問のゴチック体が小見出しの役割を果たしているので、とても読みやすいなっている。
 全体を通して見ると、御大たちは嘆いている。我慢の足りない日本人。無知な日本人。負い目を忘れた日本人。弔う気持ちを忘れた日本人。そういう調子である。
 各御大の感想とそれについての感想を俯瞰的に見ていくと次のようになった。
 吉本隆明。自分の死を予感し(平成24年(2012)3月16日逝去)、この災厄をひとつの区切りにしている感じがある。この今の絶望感とあの戦争後の絶望感と重ねている。しかし原発に関して吉本隆明は、仕方ないという態度を取っており、それは以前から一緒なのだ。
 中村稔。敗戦時の危機感はみんなが共有した。しかし今回は誰もが共有しているわけではない。そして誰も国民に対して謝っていないことに怒っている。と云っている。壊滅的な天変地異のときに人間としてどう生きたらいいのか、という問い掛けに対して詩人は応えなければならないというが、詩人に応えるべきことばがあるのだろうか。
 竹西寛子。広島長崎の経験を国はもっと真摯に受け止め、国民共有の事実と認識しなければならない、と云う。確かにその認識があれば、あの福島の事故は起こらなかったであろう。
 野坂昭如。砂上の楼閣に住んでいる我ら日本人。電気がなければすべてお手上げ、という。そういうことを云う野坂は、考えることをやめてしまった老作家の姿そのものである。
 山折哲雄。過去に対する負い目と未来に対する負い目を持っていなければならない、という。曰く“恐るべき破壊力をもった自然と人間の心を深く包み込んでくれる美しい自然。自然にはこの相反する極端な二面性が存在する。ひとつの自然が地獄にもなれば楽園にもなる。我々日本人は太鼓からそれを受け入れてそういう中で生きてきた。たぶんそれを我々は忘れてしまったのだ。”過去に対する負い目を忘れ、そのために未来への備えを怠る。我々はそういう日本人になってしまっていたのだ。
 桶谷秀昭。心の中の大きな葛藤や衝突は、創造の根本であろう、と云っている。その通りであるが、今の処、日本人の中に大きな創造は生まれていないような気がする。
 古井由吉。古井氏は、“震災後の作品はうまくかない。ことばが切れ切れになっている。”と云っているが、それに賛成したい。ことばがない。あっても連続していないから、切れ切れにしか伝わらないのだ。
 運命を受け入れること。日本列島に住んでいる日本人は、自然の猛威を逃れるすべを持ち合わさなかった。謙虚な気持ちでこの国に住み続けなくてはならない。そのような諦めに似た謙虚な気持ちを我々日本人はこの70年間の間に忘れてしまったのだ。
 どうやらこのあたりが今回の結論になろうか。

震災後のことば―8・15からのまなざし

震災後のことば―8・15からのまなざし