『サムライ 評伝 三船敏郎』

 三船敏郎は1920年(大正9年)生まれだから、生きていれば94歳。“世界のミフネ”は1997年(平成9年)に亡くなった。享年77歳。生前の名声と比較すると少々寂しい死であった。
 しかし三船が残した業績は素晴らしい。スクリーンの中で三船は大きい。その存在感は他を圧倒している。忍耐、寡黙、胆力、重厚、貫禄、颯爽、強烈、猛烈、烈風、品格、荘厳、厳威、豪胆、野生・・・・・。輝ける存在なのだ。
 そしてこのたび、三船敏郎の評伝が出版された。

 『サムライ 評伝 三船敏郎』(松田美智子 著)(文藝春秋)(2014.1.10)

 本書は三船の伝記としては嚆矢と云っていい。いままで、本格的な三船の評伝がなかったことがむしろ不思議である。生前の三船を取材した作家はいたのであろうが、なぜ筆をおこさなかったのだろうか。本書にも記載されているが、三船の悪口を云う人物は皆無なのだそうだ。三船を悪く云う人はいない、と皆、口を揃えて云う。それなのになぜ、いままで三船の評伝がなかったのだろうか?
 閑話休題
 執筆子はリアルな三船をスクリーン(映画)やブラウン管(テレビ)ではほとんど観ていない。映画ではハリウッド映画の「ミッドウェー」であり「1941」くらいであろうか。テレビでは「荒野の素浪人」「大忠臣蔵」。そしてCM。“男は黙ってサッポロビール”である。それでもそれら子供の頃に観た三船の姿はいまも脳裏に焼き付いている。三船はあの圧倒的な存在感なのだ。
 本書はどちらかといえば、三船の光の部分よりもむしろ影の部分に比重を置いて書かれている。栄光の三船よりも不幸な三船にその頁を割いている。不幸な三船についてはふたつの出来事に代表される。ひとつは泥沼の離婚訴訟。もうひとつは三船プロの分裂。さらにもうひとつを加えるとすると、黒澤明との決別が入るのであろうか。
 本書はそれぞれについて、章を設けて記載している。

 離婚訴訟は誰にとっても不幸な出来事だ。それからひとつの組織が分裂することもやり切れない出来事に違いない。しかし、黒澤との決別については、三船も黒澤もそれぞれが明確に記録を残しているわけではないので、何がそうなのか、本当に決別したのか、本当に不和だったのか、ということは確信を持ってわかっているわけではない。
○三船が黒澤の映画に最後の出演となった「赤ひげ」(1965)完成後、黒澤は脚本家として大先輩に当たる小國英雄に「あの赤ひげは違うぜ」と云われた。
○倫理的に潔癖な黒澤は三船の不倫や離婚騒動に嫌悪を抱いていた。
○映画一筋の黒澤は三船の相次ぐテレビ出演に批判的だった。
・・・・・・・
 これらのことは、それぞれ、そうなんだろうなぁ、と思う。

○「赤ひげ」後の三船は“世界のミフネ”となり、海外からの出演依頼も数多あり、最低でも丸一年は拘束される黒澤の映画には出演できなくなってしまった。
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 これも当たっているだろうと思う。

 しかし、やっぱり最大の原因はこんなところではないか、と思う。
○ふたりとも歳を取った。黒澤には三船が一番得意とする分野を撮る体力と気力がなくなったし、三船も体力が衰えている。黒澤は三船のお爺さん役を見たくなったのではないか。
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 これは黒澤の息子である黒澤久雄の感想だが、この意見に首肯せずにはいられない。この発言を引き出した本書の著者に敬意を覚える。
 三船には常に悲劇的な何か、を持っている。映画の中でも明るさの中に暗いものがひとひたと忍び寄っているような演技をしている。実を云えば、それがたまらなく素敵な部分なのだ。執筆子は、三船の持つ豪胆さも愛してやまないが、その一方で苦しさを耐え忍んでいる三船の姿が好きでたまらない。
 昭和の大俳優は森繁久彌であり、渥美清であり、石原裕次郎なのだ。そして大歌手は美空ひばり。彼らは今もなお人々の胸の中で光り輝いている。また年代的に彼らを知らない平成世代の子供たちも彼らの名前やどんな人で何をしたかはよく知っている。しかし三船敏郎は残念ながらそうではない。彼はなぜか過去の人になってしまっている。三船を知らない子供たちが歴然と存在しているのだ。それはなぜだろう。
 そういうことを考えながら、本書を読んだ。
 とにかく、三船のあの存在感。何度でも書く。彼は圧倒的な存在感なのだ。
 著者は“あとがき”でこう書いている。
 「・・・・・取材を重ねれば重ねるほど、三船敏郎という俳優を好きにならずにはいられなかった。彼が残した作品は手に入る限り観たが、その作品に、取材で得た証言を重ねると、さらに魅力的に感じられた。」
 書き手が対象者に惹かれる。書き手は対象者からインスピレーションを与えられ、ますます対象者にのめり込む。ふたりがひとつの糸で繋がっている。素敵な関係だと思う。
 執筆子もまた三船を愛してやまない。三船の一挙手一投足すべてが魅力に満ちている。彼の菊千代や三十郎。あるいは新出去定。さらに山本五十六大石内蔵助はまったく過去のものになっていない。不滅である。
 本書は三船に対するレクイエムという面をも持っている。

 著者の松田美智子さんは、松田優作の元妻である。そういえば、松田優作のキャラクターは若い時の三船敏郎のそれに似ている。画面からはみ出しそうな勢いで野性味溢れる演技をしていた。三船敏郎松田優作が似ていると感じたのは、この執筆子だけではあるまい。

サムライ 評伝 三船敏郎

サムライ 評伝 三船敏郎