『蜥蜴の尻っ尾 とっておき映画の話』

 黒澤明監督のもとでスクリプターを務めていた野上照代さん。彼女の現在の職業は何だろう? 著述家か、プロデューサーか、単なるご隠居か。現在はよくわからなくても、過去においては、さまざまな職業を経験し、最終的には映画人のひとりとして様々な人と関わってきた女傑であることには違いない。
 そんな野上照代さんがご自分の半生を語った本がある。

 『蜥蜴の尻っ尾 とっておき映画の話』(野上照代 著)(文藝春秋)(2007.12.15)


 野上照代さんは、1927年(昭和2年)生まれ。御年87歳におなりになる。現在もお元気に電車に乗って移動されていると聞く。そして確かな記憶力で全盛期の日本映画界について語っているのが本書である。第1部はインタビュー形式の回顧録。第2部は野上さんのエッセイを集めたもの。むろん野上さんは名文家なので、そのエッセイはとてもおもしろい。しかしながら、云うまでもなく、本書の主題は第1部のインタビューにある。彼女の半生記はそのまま戦後の日本映画史になるのだ。インタビューするのは、キネマ旬報の元編集長と出版社の編集者。その業界をよく知る人たちによる的確な質問と誘導によって、野上さんの舌も自ずと滑らかになる。
 野上さんは、山田洋次監督作品の『母べえ』の原作者としても知られている。実は本書はその宣伝も兼ねている、ということに「あとがき」を読んで知った。『母べえ』完成によって野上照代という人そのものに世間の耳目が集まった。それまでの野上さんの印象は、黒澤映画での記録係(スクリプター)として、常に監督の側に立ち、現場をよく知っている人、そして黒澤も三船も亡き後、現場を知る貴重な証言者、というものであった。しかしながら、『母べえ』以降、野上照代本人にも波瀾万丈な人生があり、黒澤組以外でもたくさんのエピソードを持っている人であることが知られるようになったのだ。
 しかし、あくまでも謙虚な野上照代さん=のんちゃんは、自分自身のことはまったく語らない。彼女が話すことは、常に黒澤明のことであり、クロサワ映画のことであり、黒澤明三船敏郎のことであった。
 実際、この雑文でも以前に紹介した本、野上さんの自著『天気待ち』では、そのへんのこと(黒澤明、クロサワ映画、三船敏郎など)についてとても興味深いことが書かれている。
 本書のおもしろさは、それ以外ののんちゃん自身の貴重なエピソードを引き出し、活字化することによってそれが興味深い昭和史になっている、ということであろうか。
 野上さんが世に出るきっかけはむろん彼女の家族がいたこともあるが、戦前の名監督、名脚本家である伊丹万作との出会いがあったからである。伊丹万作との出会いは、人生の楽しさを教えてくれる、とてもいいエピソードである。『赤西蠣太』という伊丹万作が監督をした映画を観た少女ののんちゃんは、伊丹監督にファンレターを書いた。そして後日監督から、のんちゃん宛に返信が来た。それからふたりの文通が始まった。
 時代は戦争へ突入し、そしてみんな散々な目に遭い、終戦。戦後の混乱である。のんちゃんは出版社に入り、編集者の卵となる。そこで出会ったのが巨匠井伏鱒二。はじめは単なる使いっ走りで井伏邸にかよっていたのんちゃんであるが、いつしか巨匠の心を掴んで、以後ずっとのんちゃんは井伏先生の世話役になる。それはのんちゃんが映画界に身を投じてからも変わらず、続いたという。
 本書の特徴はインタビュー形式なので、自らが筆を執っているわけではない。だから時には想定外の質問に応えなければならないこともある。それが本人執筆の本にはないおもしろさにつながっている。単純に云えば、聞かれたくないことに答えることによって、今まで知られていないエピソードが登場することになる。野上照代さんもご高齢だし、周りの人たちもほとんど鬼籍に入ってしまっているし、もう喋ってもいいですよ、時効ですよ、というインタビュアーの声が聞こえそうである。
 ひとりの人間が生きていく上で、大勢の人々とのつながりが生じる。そのつながりが伸びたり縮んだり、ほつれたり切れたり、結ばれたりしている。そういう処で、歴史を動かすような、たくさんの人たちのその後の人生を決めてしまうような出来事が偶然に発生する。そんな事がらがインタビューを通じて浮かび上がってくるのである。
 本書は伊丹万作監督との交流。そして井伏鱒二先生との付き合い、また伊丹監督の子息である伊丹十三との関係など、たいへん興味深いエピソードに彩られているが、やはり本書の核心、野上照代の真骨頂は黒澤明監督とクロサワ映画のことである。
 中でもやはりと云うべきか、三船敏郎のことを絶賛している。そして監督・黒澤明と俳優・三船敏郎の関係をわかりやすく解きほぐしてくれる。
 黒澤あっての三船。三船あっての黒澤。それを常に間近でみている野上さん。映画製作の現場で三船がどう動き、黒澤がどう撮ったか、その時の会話まで再現して詳細に語られている。圧巻は、『蜘蛛巣城』での三船扮する鷲津武時が放たれる矢の嵐によって殺される場面であろうか。一歩間違えば死んでしまうような撮影をよくやった、としみじみ回顧している。その矢地獄の撮影を三船がやりきったことに対して野上さんはこう云っている。「三船さんは黒澤さんに、「そんなことはできない」とは言えない。二人の信頼関係が崩れますから。」黒澤と三船の関係が端的によくわかる発言だと思う。
 いろいろあるが、本書は87歳の生き字引が回顧する昭和史であろう。あとがきに書かれていることは、とても印象深い。
 「・・・・・あの二度と還らぬ黄金の日々を共有した人々も、今では見渡すかぎり寥々たるものとなってしまった。今や絶滅寸前の我々生存者が記録に留めておくことは大切なことかも知れない、と思うようになった。」
 そして、本書の表題となっている、“蜥蜴の尻っ尾”にも触れている。
 「まあ、この世を立ち去るに当たり事実を残すことも何かの役に立つかも知れない。今は蜥蜴の尻っ尾を切り離して退散する心境なのである。」と。
 老境を迎えた観察者は驚くべき記憶力で当時を再現してみせた。そんな書物である。

とっておき映画の話 蜥蜴の尻っぽ

とっておき映画の話 蜥蜴の尻っぽ