『東京自叙伝』

 今月ご紹介する本は、本屋さんに平積みになった本書の題名を見ただけで、思わず買ってしまった本。執筆子としては、東京の地理、歴史、民俗などは好きな分野であり、本書は条件反射のように自分の籠の中に入れてしまった。そして、読後は期待通りの好書であった。

『東京自叙伝』(奥泉光 著)(集英社)(2014)


 小説を小欄で紹介するのは、とても珍しい。小説はストーリーがあるので、書評はとても難しいと思っている。あらすじだけの紹介になってしまったり、登場人物に感情移入しすぎて、ひどく独善的になってしまったりする。
 しかし、本書『東京自叙伝』は、それらの心配がない。まず、幕末から現代までの東京の歴史がそのままストーリーになっている。みんなが知っている歴史がそのまま、あらすじになる。だからそれを語る必要はない。また、登場人物に思い入れをすることもない。なぜなら、出てくる人々がすべて“イヤな奴”だから、好感を持って感情移入することはない。
 しかし、そうであれば、小欄をどうやって書いていいか、いま、ハタと気がついた。あらすじも書けず、登場人物についても書きにくい。
 本書の主人公は実は、東京の地霊である。太古からこの地に棲み続けているもの。見ることも、触れることもできない実体のないこの地霊がある特定の人間に憑依する。地霊が乗り移ったその人間は、驚異的な能力で頭角を現し、超人的な勢いで社会の中で活躍する。そしてその活躍が彼及び彼女の絶頂期に至ったとき、地霊はその肉体から離れる。地霊が去ったその個体はそのまま朽ちていく。死んでしまうのだ。
 地霊が乗り移ったその個体は、それぞれの時代の典型として描かれている。その時代の多数者。マジョリティーを代表した人物となっている。そのように意図的に描いたことが本書のみそであい、作者のその時代時代への想いであろう。
 地霊は6人の個体に乗り移る。その6人がそれぞれ章立てになっており、6人の名前が各章のタイトルになっている。6人の職業は以下のとおり。
 第1章 幕臣から新政府の役人(東京の地霊なので官軍方ではなく幕臣なのだ)
 第2章 帝国陸軍軍人(陸軍参謀であり、あの戦争を暴走させた集団の一員)
 第3章 やくざ(戦後の闇屋から成り上がる)
 第4章 調整者(戦後の政財界を渡り歩き問題を解決しながら高度成長を支える)
 第5章 バブルの申し子(バブル期に泳ぐように遊びまくった女性)
 第6章 派遣労働者(バブル後の不景気の中で仕事をし、震災後は福島第一原発にも)
 特に何をしている、という明解な職業があるのは、第2章の軍人だけで、ほかはふわふわと漂うにようにその時の世の中を渡っているような人々なのだ。つまり本書では、幕末から現在までの時代時代で東京にいる代表的な人物を造形し、それらを東京人の典型として表している。彼らを物語上で動かすことによって、作者は近代以降の東京の持っているエネルギーを表現している、という仕掛けになっているのだ。
 そしてこの東京人の典型として書かれている6人の人物たちが一様にイヤな奴らばかりなのだ。東京という巨大な都市で、様々な人々やいろいろな出来事が交錯し、渦巻いている中で、それらひとつひとつの澱や塵やゴミがお互いに影響しあうことによってなにか有機体のようなものが生成される。それは東京という都市の持つ身勝手さや横柄さを体現しているわけで、都市の翳の部分が、彼ら6人のイヤな奴らになり、物語の顛末・出来事は彼ら自身の性格のなせる技というよりも、彼らの肉体に寄生している、東京の地霊という名の生成物が根源になり、物語の動力になっているのだ。
 つまり、東京を覆っている様々な装飾を剥ぎ取り、剥きだしの核のようなものをみた時、たぶんそれは汚く臭く身勝手で横柄で計算高く強欲な存在であり、それが東京の正体であり、そして地霊である、と作者は云っているわけだ。
 物語の後半以降は、執筆子も生きている同時代を扱っているので、歴史ではなくなる。そうなると物語は年表のように何年になにがあって、という事実の羅列になっている印象を受け、すこし退屈を感じることは否めなかった。それはむろんこの主役の地霊がそんなイヤな存在であることが関係しているのかもしれない。
 またこの地霊はこの6人以外にも乗り移っていることが物語の後半でわかってくる。東京のあらゆる悪人、犯罪者が地霊に制御されている印象なのだ。そして、鼠。この地霊はよく鼠になる。汚物にまみれた所や廃墟を動き回る鼠。生命力はあるが、決して決して何も生み出さない鼠が地霊の宿主になっている。それが東京の地霊の正体なのかもしれない。物語は最後も鼠で締めくくられている。
 最後の第6章の人物は、震災後に福島第一原発で派遣作業員として働いている。この終末的風景は、将来の東京を暗示しているようで、どうしても悲観的になってしまうのだ。
 本書の巻末に「主な参考文献」一覧がある。6人の主人公そのままに6つのカテゴリーに分けられている。それぞれどれも魅力的な本だ。時代を知ることができるいい手引書だと思う。

東京自叙伝

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