『アメリカン・スナイパー』

 映画の「アメリカン・スナイパー」を観て、原作の『アメリカン・スナイパー』を読んだ。
 映画はアカデミー賞にノミネートされた。監督はいまや巨匠といってもいいクリント・イーストウッド。男の孤独な戦いを描くことを得意とするクリント・イーストウッドが今度はどんな作品を作ったのだろうか。実在の人物である主人公のクリス・カイルは戦地で戦死したのではなく、除隊後に安全な本国で殺されている。いろいろな意味で話題に事欠かない映画であり、映画評では硬軟取り混ぜ、さまざまな批評がなされていたが、まずは自分で観てみないと。
 男子は戦争映画が好きだ。血と汗と臭いと汚れと銃撃音。そして男同士の友情。生と死。怒りと喜び。そのようなものが一体となってスクリーンから迫ってくる。この興奮は女子にはわかるまい。と思っていたが、実際に映画館では女性客が多かった。
 その辺の分析は別の機会に譲るとして、いまはこの「アメリカン・スナイパー」そのものを俎上に上げる。
 映画館を出て、そのまままっすぐ本屋に入り、映画の原作となっている本を買った。

アメリカン・スナイパー』(クリス・カイル/ジム・デフェリス/スコット・マキューエン 著)
田口俊樹・他 訳)(ハヤカワ文庫)(早川書房)(2015)
原題:AMERICAN SNIPER
    The Autobiography of the Most Lethal Sniper in U.S.History

アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 原書は2012年に発行されている。

American Sniper [Movie Tie-in Edition]: The Autobiography of the Most Lethal Sniper in U.S. Military History

American Sniper [Movie Tie-in Edition]: The Autobiography of the Most Lethal Sniper in U.S. Military History

 クリス・カイルは、アメリカ海軍の特殊部隊SEALに所属してイラク戦争に派遣される。狙撃手(スナイパー)として160人の敵を仕留めた。米軍史上、狙撃成功の最高記録保持者だそうだ。味方からはレジェンド(伝説)と賞賛され、敵からは悪魔と恐れられた。
 戦争が好きでたまらない男。世の中には味方と敵の二種類しか存在しないと堅く信じている男。敬虔なクリスチャンと云いながら、敵だから、野蛮人だからという理由だけで平気で引き金を引く男。味方(仲間)が殺される前に敵(イラク人)を殺す男。家族よりも国家を優先する男。

 平和憲法を持ち、どんな理由であれ戦争は悪であると教育され、武器なぞ見たことも触ったこともない平均的な日本人にとって、“戦争が好きだ”と云い放ってしまう男の存在は奇異に感じられるかもしれないが、そのように考えているクリスのようなタイプの男はもしかすると平均的なアメリカ人男性の姿かもしれない。我々のアメリカに対するイメージは、ニューヨークであり、ワシントンであり、ロサンジェルスであり、サンフランシスコである。しかし広大なアメリカには他にもたくさんの地域が存在する。保守的とされている地域に住んでいる人々。実は彼らもまたアメリカ人の典型なのだ、ということを本書を読んで思い知る。クリス・カイルの生き方はそんな普通のアメリカ人の生き方なのである。ただ彼が他の人と違ったのはずば抜けた狙撃能力が備わっていたことであろう。それともうひとつ。最も体力も気力も充実している20代という年代にクリスは、イラク戦争に遭遇したということを忘れてはならない。少しでも時期がずれていたら、クリスの武勇伝は生まれていなかった。

 映画では、クリス・カイルの性格がどのように形成されたかをより強く印象づけるためにひとつの場面が映画の初めの方に挿入されている。父親が少年であるクリスにこう云う。
「人間は3種類に分かれる。羊と狼と番犬だ。お前は悪人である狼を懲らしめる番犬になれ」
 この場面を観た時に思い出したのが、田中角栄の娘である田中真紀子が「人間には敵か家族か使用人の3種類しかいない」と云ったという話だ。とかく敵と味方と・・・と人間をぎりぎりまで単純に分類したがる傾向は洋の東西を問わず存在するらしい。

 また、武器のこと、就中、銃器のことをほとんど何も知らないこちらは、本書に書かれた銃器にまつわる解説が、とても勉強になった。銃器をこよなく愛している男子は、車やバイクを大切に扱い、常にいじくり回している男子と同じだ、ということもよくわかった。

 本書の大きな特徴は、ところどころにクリスの妻であるタヤの言葉が載っていることである。
戦場にその身を置いている夫のことを心配する妻。一時帰国しても彼の心はここにはなく、戦場を彷徨っており、その様子にどう対処していいかわからない妻。除隊後、精神的に不安定になっている夫を絶望的に眺めている妻。彼を支え、彼を励まし、しかし彼に絶望している彼女。なにしろ、SEALの離婚率は相当な割合であるというから、クリスとタヤは危機を乗り越えたカップルであり、そのタヤの言葉には感じ入り、心に響くものがある。

 もうひとつ、大きな特徴は、やはり何といっても戦闘シーンがすごい。我々読者は本書のその部分を読みながら、心はイラクファルージャに飛んでいる。砂漠の乾燥と照りつける陽射し。そして扉を開ければそこに敵がいる。建物の陰から敵が飛び出してくる。弾が上下左右前後から雨あられと降ってくる。こちらも負けずに敵をやっつける。安心しきっている敵を遠く離れた所からロックオンして仕留める。こちらは交戦規定を順守して攻撃しないといけない。しかし敵はそんなものはお構いなく撃ってくる。

 本書を読み終えて、最初に思ったことは、イラク側から書かれた本を読みたい、ということだった。きっとイラク人もあのイラク戦争について書いているに違いない。どんな内容でどんなことが書かれているかぜひ知りたい。しかしそれらの作品は日本語では未来永劫読めないであろう。アラビア語で書かれた戦争小説は日本では市場ニーズがない、と判断されるのだろう。我々日本人はある意味、文化的にもアメリカに従属している。

 象徴的な文章がある。本書を一言で表せると思う。
「わたしはSEALだ。戦争をするための訓練を受けた。わたしは戦争に向いていた。わたしの祖国は戦争中で、祖国がわたしを必要としていた。それにわたしは戦争が恋しかった。興奮とスリルを味わいたかった。悪いやつらを殺すのが好きだった。」