『黒澤明と三船敏郎』

 久しぶりに黒澤明三船敏郎の関連本を手に取る。ふたりの巨人の人生が一冊の本にまとめられた。ある意味とても贅沢な本である。著者は外国人。2001年に原典が上梓され、昨年その日本語訳が出版された。この日本語訳は索引を含めると700ページを越える大作となっている。
 英語で書かれた本書の題名は、『THE EMPEROR AND THE WOLF The Lives and Films of Akira Kurosawa and Toshiro Mifune』(直訳するなら「皇帝と狼 黒澤明三船敏郎の人生と映画」という感じか)
 分厚い本だが一気に読める。

黒澤明三船敏郎』(スチュアート・ガルブレイス4世 著)(櫻井英里子 訳)(2015年)(亜紀書房

黒澤明と三船敏郎

黒澤明と三船敏郎

The Emperor and the Wolf: The Lives and Films of Akira Kurosawa and Toshiro Mifune

The Emperor and the Wolf: The Lives and Films of Akira Kurosawa and Toshiro Mifune

 本書の一番の特徴は、なんといってもその分厚さにある。なぜこれほどまでに分厚いか。黒澤明三船敏郎という二大巨頭を描いているのだから当たり前と云えば当たり前なのであるが、筆者が特に注目したい映画について、普通のすじがき(映画のプログラム)以上に詳細にあらすじを追っているところにある(つまり結末までしっかり書いてある。いわゆるネタばれ)。

 黒澤と三船の人生と映画について書かれている本なので、三船が出演していない黒澤映画(例えば『生きる』とか『影武者』『乱』など)、黒澤が監督をしていない三船主演映画およびテレビ(『レッド・サン』『将軍』など)についてもそのあらすじは詳細に言及されている。
 そのあらすじであるが、結局は本書の著者の視点からのあらすじなので、著者はどこが重要な処と感じたのか、ということも併せてわかる。例えば、『天国と地獄』。なんと15ページを越える分量であらすじを書き連ね、この映画を詳細に紹介している。この映画は前半と後半で大きく舞台が違っている。前半は誘拐犯と権藤、そして刑事たちの性格劇。後半は犯人を追い詰める犯罪刑事ドラマになっている。そして特にこの前半の主な舞台である権藤邸での刑事たちと権藤のやり取り、犯人からの電話でのやり取りについて細かく記載している。本書の著者はこの前半の権藤邸での場面がとても重要だと考えたのだ。

天国と地獄 [Blu-ray]

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 この映画を本書はベタ褒めしている。この映画はエド・マクベインの『キングの身代金』が原作であるが、ある意味、原作をも超えたとまで云っている。象徴的なのは映画のラストシーンである。本書では最も感動的で重要なのは、このラストシーンだ、と書かれている。権藤と犯人がガラスを隔てて向き合っている。このシーンでの思想性を著者は言葉を重ねて多弁する。そして最後にこう書いてこの『天国と地獄』の紹介を終えている。“『天国と地獄』は、個人の責任がテーマの作品である。最初の一時間の権藤は、自分と家族と、身近な人間への責任感から行動する。しかし最終的には竹内(注:犯人)、ひいては人類そのものに対し責任を負う人間になる。”

 また、黒澤と三船の人となりについて、あるいはある作品の制作秘話についても興味深いものがある。ふたりについて目新しい話がふんだんに盛り込まれている、と感じた。黒澤と三船のふたりに直に接していた人たちも随分年老いたのであろう、そろそろ云ってもいいかもしれない、という判断が働いたのではないか、と思う。
 そのことは著者あとがきでもふれているが、インタビューをした人々にとってこのインタビューがカタルシスになったのではないか、と著者は云っている。話すことによって気持ちが落ち着き、解放され浄化された。云ってはいけないことだったり、長く封印していたり、傷ついたことだったりしたことを話すことによって気持ちの整理をつけていたのだろう。だから彼らは多くをこのインタビュアー(著者)に語ったのだろう。とてもおもしろい話がふんだんに出てくる。
 これらの著者によるインタビューをした人たちの名前は巻末の「謝辞」という欄に載っている。その中には黒澤と三船を語らせる際に無くてはならない人たちの名前がないこともすこし残念なのであるが(仲代達矢山崎努寺尾聰野上照代、といった人々)、そういう不足を云ったら切りがないからやめておく。

 また、それ以上に興味深いのは、黒澤と三船の映画ついての外国の評判(特にアメリカ)がたくさん載せられていることだ。映画上映に当時の新聞や雑誌の記事を丹念に発掘して載せている。作品を否定する評論と好意的な評論を併せて載せる。そして著者のコメント。だいたいの場合、批判している記事を否定し、好意的な記事を肯定している。批判している記事を書いた評論家には、彼はこの映画の一面しか見えていなかったと言い放ち、好意的な記者に対しては、よくわかっていると褒めている。そこに一貫していることは著者の黒澤と三船の作品に対する大きな愛であろう。

 ハリウッドのスタンダードを押し付けたり、逆にハリウッド流の映画でないと判断したり、あるいはハリウッドの真似をしているにすぎない、と評論している記事に対して著者は容赦ない攻撃を加えている。日本映画はハリウッド映画ではないし、ハリウッドの映画が最も優れた映画ということでもないのだ。実際に例えば『七人の侍』がアメリカで上映された時には、この映画はガンマンが活躍する日本版西部劇である、と見下した記事ばかりだったようだ。この『七人の侍』を好意的に観た評論家のひとりにアーサー・ナイトという記者がいるが、彼の評論を読んで著者は、“彼は、黒澤映画を深く、完璧なまでに理解していた。その説得的な文章に感嘆した。映画評論はこうあるべきだ、と思った。”と書いている。最上の褒め言葉が並んでいる。

 黒澤と三船のふたりを語るとき、最も重要なことは一緒に仕事をした1965年(昭和40年)まで(作品で云えば『赤ひげ』)とそれ以降の別々の道を歩んだ時期とのことを明確に区別することである。執筆子としては、黒澤と三船を書くときに、なぜそこを境に別々の道を歩んだか、ということをしっかり考察しなければいけないと思っている。
 黒澤はハリウッドから持ちかけられた2作(『暴走機関車』と『トラ・トラ・トラ!』)の企画があり、脚本も完成したのに結局は作ることができなかったという失敗。創造する人が創造することを取り上げられ、彼はついに自殺未遂まで起こしてしまう。

 一方の三船もまた、三船プロダクションという会社を作ってしまったばかりに、その会社を維持しなければならないために(社長である三船は社員に給料を払わなければならない義務があった)凡作駄作に出演し続けてしまったこと。表現者がよき創造者に恵まれなかったばかりにその能力を発揮できなかった。

 それでも黒澤は停滞の50歳代・60歳代を経て、晩年に見事に復活する。しかしながら三船はついに復活することなく、そのまま逝ってしまった。……というのが本書の見立てであるが、三船だってその後にいい作品に出ていないとは云えないと思う。1971年に一年間放映された『大忠臣蔵』(三船はむろん大石内蔵助役)なぞ、いい作品だと思うのだが……。
 いずれにしても製作期間が長くかつ製作期間中に他の作品に出演することを嫌う黒澤作品に多忙な三船が出ることは不可能になってしまったのは間違いない。

 黒澤と三船が組んだ最後の映画、『赤ひげ』(1965年)あたりから急激に日本映画の衰退が始まり、彼ら二人が生きている間に日本映画は復活を遂げることはできなかった。巨額な制作費を必要とする黒澤明の映画。日本を代表するトップ映画スター、世界のミフネ、三船敏郎。このふたりが同じ映画で仕事をすることはもはやありえなかったのだ。