『生き残る判断 生き残れない行動−大災害・テロの生存者たちの証言で判明』

 今月はサバイバルの本。生存していくための手引書を紹介する。
 大地震、大津波、大噴火。それから大事故やテロリズム。その場に居合わせた人々は、否応なく巻き込まれ、死んでしまうか、はたまた幸運にも生き残れるか。死と生存の差はなんなのか。死者と生存者との境界線はどこに引かれているのか。・・・・・・そういうことを考察しながら、死なないための方法が書かれた本。
 書いたのはアメリカ人の女性ジャーナリストで出版された年は2008年。

『生き残る判断 生き残れない行動−大災害・テロの生存者たちの証言で判明』
(THE UNTHINKABLE Who survives when disaster strikes-and why)
(アマンダ・リプリー 著)(Amanda Ripley)(岡真知子 訳)
(光文社)
(2009年12月初版 2011年7月6刷)(2008年)

生き残る判断 生き残れない行動

生き残る判断 生き残れない行動

The Unthinkable: Who survives when disaster strikes - and why

The Unthinkable: Who survives when disaster strikes - and why

 原題が示している“想像もつかない−大災厄に襲われたとき、誰が生き残ったか そしてなぜなのか”という表現がそのまま日本語版の副題に適している。
 9.11、ハリケーン カトリーヌ、ドミニカに置ける米大使館占拠事件・・・ets.
 著者は、さまざまな災厄のその現場にいた人たちにインタビューして、危機管理や心理学の専門家に話を聞いて、本書をまとめている。
 本書は、防災の本ではない。災厄の最中に何が起きているのかを観察して、そこから生存への行程を導き出そうとする、とても意欲に富んだ書物である。

 死の危険がそこに迫ったとき、人はどうするのか?
 著者は、そのとき人は3つの段階を踏みながら、生き抜いていく。3つの段階を経て生還する。という。その3つの段階とは「否認」、「思考」、「決定的瞬間」・・・と表現された現象であり、この3つの段階を経ないと生存はできないのではないか、と考えている。
 人は何か大きな災厄に見舞われたとき、まず「否認」するという。自分は今とんでもない災厄の中にいる、ということ自体を否定してしまうのだ。この「否認」の状態のままで次の段階に進めなかった人は限りなく生存の可能性は低い。生存者は大なり小なり「否認」の段階から次の「思考」の段階へ進んでいる。そのきっかけは、隣の人の放った発言だったり、外の風景が目に飛び込んだりすることだったりする。そして、それによって次の「思考」段階へと移行していく。
 異常事態の中で、脳の働きはどうなっているのだろうか。生存者の証言とさまざまな実験によって、いろいろ解明されてきた。人はそのとき、生存のために何を選択するのだろうか。その場から逃れるのか、それともそこに留まるのか。一般的に云えば、生存のためには逃げる=避難、と考えるのであろうが、逃げたために(動いたために)格好の標的になり、殺されてしまうこともある。日本ではそういう事例はめったにないが、米国ではしばしば銃の乱射事件が起こる。犯人は逃げようとしてあたふたと移動している人から殺している。そして“死んだふり”をして微動だにしない人が助かったのだ。死んだふりをした人は、動いて殺さている人の様子を見て、「否認」状況から「思考」段階へと移行して、そして助かった。
 「思考」は「回復力」と云い替えてもよいかもしれない。「否認」の段階から「思考」に移行した人は、つまり脳を含めた身体が生存への欲求を取り戻し、正常に活動し始めたと考えるとわかりやすいと思う。
 さて、危機的状況のときに、何もしない状況(否認)を抜け出してどう行動すれば助かるか、と考えること(思考)まで達した人は、次にそれを行動に移すばかりとなる。行動を起こすときこそが、第3段階の「決定的な瞬間」なのだ。
 助かった人は、なぜ他の人たちよりもはるかに適切な行動を取れたのだろうか。それをさまざまな事例を紹介して解き明かしていく。本書の核心部分といっていい。
 そして、それらの事例から導き出された本書に書かれている生還するために最も大切なこと。結論を書いてしまおう。とても大切なことだから。

 あらかじめ何度も繰り返して練習すること

 これに尽きる。
 当たり前に云われていることなので、肩すかしを喰らってしまった。“適切な事前の計画と準備は、最悪の行動を防ぐ”。・・・・・ということだが、このあたり前のことができていないし、やらせる側もやる側も力を出してやっていなし。ラジオ体操は精一杯行えば、終わったときに汗をかく。でも手と足を適当に動かしているだけ(やったふり)では、なんにもならない。・・・・・ちょうどそれと同じだ。
 私たちの立場で云えば、災害の避難訓練を繰り返し行いなさい、ということである。火災に対する避難訓練地震に対する避難訓練津波に対する避難訓練。・・・・・これらの避難訓練はすべてその逃げる場所や逃げ方が違う。火災の場合、初期消火に失敗したらとにかく逃げなくてはいけない。どこに逃げるかは延焼類焼状況によって異なる。そのときその場の判断である。地震の場合は、どうすればいいか?その建物が倒壊の危険があればどこに逃げるのか。倒壊の危険がなければ、その場に留まるのか。そして火災の危険も発生する。災害は1つではない。津波の場合は、とにかく高いところへ。
 どれも何度も繰り返すことが大切。考えなくても身体が勝手に動く、という、あれだ。

 自分の住んでいる場所を知り、何に対する備えをすればいいかをよく考えてみよう。そこには活断層はあるのか。そこは地盤が緩いのか。そこは盛土ではなのか。そこは木造密集地か。そこは0メートル地帯か。・・・・・それぞれ調査して観察して最善の備えをし、そして繰り返し助かるための練習をする。
 本書を通じて、さまざまな災厄から生還した人たちのたくさんの事例をみてきた。そして本書の結論である「あらかじめ何度も繰り返して練習すること」を激しく共鳴した。
 とてもいい本を読むことができた。ある意味において幸せだった。