「ルードヴィッヒ(Ludwig)」

「ルードヴィッヒ(Ludwig)」(1972)ルキノ・ヴィスコンティ

237分。4時間の長尺映画であるが、当初からこの長さではなかったようだ。
ヴィスコンティが完成させたとき、配給会社から長過ぎる、とクレームが付き、
ヴィスコンティは泣く泣く184分(3時間)に削ったという。
この4時間の尺に復活したのは、2006年にヴィスコンティ生誕100年記念事業のとき。あらためてネガフィルムからおこしたものだという。
確かに長い。そして素人でもわかるほど必要のないカットがある。ルードヴィッヒの狂気と孤独をこれでもかとみせつける。

脚本家以下スタッフがイタリア人だったので、オリジナルはすべてイタリア語になっている。
アルプス以北の陰鬱なドイツの地でひとり孤独を愛し、狂人の如く振る舞っていたルードヴィッヒが賑やかなイタリア語で喋るのは、日本人の私たちにするとそれほどでおかしきものではないが、ヨーロッパの人びとにはどんな様子に映っているのだろうか。
王が従者に「ありがとう」というのはドイツ語なら「danke」(ダンケ)だが、映画はイタリア語なので「grazie」(グラッツェ)。やっぱい違和感があるのだろうと思う。

エリザベートロミー・シュナイダー)が美しい。ドイツ人だがフランスの女優さん。

高貴さと官能の香り。両方を兼ね備えた女優だ。他の演技をみてみたい。危険な薔薇か、それとももしかしたら平凡なすみれかもしれない。他の映画を観ないとわからない。

ルードヴィッヒはヴィスコンティのお気に入り、ヘムルート・バーガー。時間を追うにしたがって王の威厳が備わり、高貴な所作が自然にみえる。狂気の目は恐ろしいほどだ。むろんメイクもあるだろうが、演技力のなせる技だろう。その演技力は壮麗で荘厳なヨーロッパの城でのロケの賜物だと思うのだ。渾身の力で演じているのがよくわかる。しかし演技している、ということが観客にわかってしまってはいけないものなのだが。

ワーグナーの音楽がところどころ挿入されている。これが素晴らしい効果を生み出している。ワーグナーとの関係はルードヴィッヒの大事な主題のひとつ。ワーグナーがルードヴィッヒを狂気に陥れた、と云えなくもない。

ルードヴィッヒが愛した女性はだだひとり。従姉妹で年上のオーストリアハプスブルク家に嫁ぎ王妃となったエリザベートだけだった。あとは男色。ヴィスコンティが投影されていると思うのは穿ち過ぎか。しかしルードヴィッヒがバイセクシャルだったのは歴史的な事実であることは証明されている。

ルードヴィッヒとエリザベート。ふたりの描き方が出色だと思う。複雑な感情のひだを見事に表現している。監督のヴィスコンティに乾杯。二杯目は演じたヘムルートとロミーに乾杯。

ルードヴィッヒが生きた時代は、ヨーロッパが王の時代から近代立憲主義へ移行する、まさにそのときであり、王は統治せず、君臨するだけの存在になっていった。さらに各王国がひしめき合っていたドイツではプロシア王国主導で統一大ドイツ帝国が出来上がる時期だった。バイエルン王国のルードヴィッヒ王はもはやなにもやることがなくなった。ルードヴィッヒ王が耽美で虚無的になったのは歴史の必然と云えるだろう。

歴史を知ればこの映画をますますおもしろく観ることができる。

平成29年10月2日 新文芸坐にて鑑賞