『夢遊病者たち −第一次世界大戦はいかにして始まったか−』(1巻)

 たいへんな本を手にとってしまった。全2巻(844ページ)の大著である。しかも翻訳本。そして発行元は学術書を出版しているあの、みすず書房。とくれば、どれだけ硬い本なのだ、と想像がつく。タイトルをみて、ふらふらとこの本に近寄ってしまった、執筆子としてはぜひこの本の書評をものにしてみたい、という熱い思いが続いている。しかし、7月10日現在、まだ読み終わっていないのだ。仕方がないので、あまり例はないが、本書は上下の2巻に分かれているので、今回は1巻だけの紹介をしようと思う。

夢遊病者たち −第一次世界大戦はいかにして始まったか−』(1巻)
(クリストファー・クラーク 著)(小原 淳 訳)(みすず書房)(2017年1月25日発行)
『THE SLEEPWALKERS−How Europe Went to War in 1914』(Christopher Clark)(2012)

 本書は全12章からなっている。そのうち1巻は4章分になり、残りの8章が2巻の登載である。1巻の各章は以下の通り。
第1章 セルビアの亡霊たち
第2章 特性のない帝国
第3章 ヨーロッパの分極化 1887〜1907
第4章 喧々囂々のヨーロッパ外交
 本書は19世紀の末から第一次世界大戦が勃発した1914年までのおよそ20年間のヨーロッパの政治家たちの動きを時間(時系列)と空間(地域別)でそれこそ縦横無尽に表現している。そのとき、その立場にいたその人たちの発言や行動、ひとつひとつが、1914年の大戦勃発への原因となっていく。彼らは自分の発言と行動に責任を持たなかったので、それこそ「夢遊病者」だったわけだ。責任を取らない政治家たち。それが大戦の悲劇を産んだ。

夢遊病者たち 1――第一次世界大戦はいかにして始まったか

夢遊病者たち 1――第一次世界大戦はいかにして始まったか

 第一次世界大戦では、主な戦場がヨーロッパであり、日本は遠い異国での戦争、というイメージである。実際にこの戦争の原因がなにかは、学校でしっかり教わった記憶がない。“一発の銃弾が大戦の引き金となった”・・・というような表現で、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻がサラエボにおいてセルビア人の青年に暗殺されたことを学習した。そして当時のバルカン半島は“火薬庫”であり、ほんの些細なことで大爆発を起こす危険がある、というようなことを学んだ。実際に、オスマン帝国オーストリア=ハンガリー帝国という、長くこの地を治めていた両帝国の勢力が弱まり、この地のさまざまな民族が自立を願ったこと。つまりナショナリズムの台頭があり、そして墺(オーストリア)と土(トルコ)以外にそこに英仏独露伊という帝国主義時代の列強と云われる大国が自国の利益を優先させた外交政策を取り、それら列強の思惑と自立の願うそれぞれの民族の行動が複雑に絡み合いバルカン半島をして、火薬庫にさせしめていた。
 話は脇に逸れるが、帝国主義時代と云われるこの時代、国名を英米仏伊独露蘭白墺土と表現するとピタッとくる。英仏露の三国協商に独墺伊の三国同盟のような表現だ。たくさんの国名が出てくるので漢字一文字の略称は素晴らしいアイデアだと思う。そしてこの乱暴な当て字略称は大国の横暴とそれが結果的に弱い者いじめになったこの乱暴な帝国主義時代を端的に表わしているように思えるのだ。
 閑話休題
 この1巻は、第一当事国のセルビアオーストリアの王族や政治家たちの派閥争いが細かく描かれている。スラブ人の名前、ドイツ系の名前が入り乱れる。王さま、皇太子、首相、外相、陸相参謀総長、各地の駐在大使たち。名前を覚えることを放棄しないと読み通せない。前に進まないのだ。人名索引は2巻にある。しかし1巻にも人名索引を付けてくれたらよかったのに・・・・・。

 そのような政策決定者たちはいかにしてこの大戦を始めてしまったのか?ということを本書はテーマにしている。本書の「序」を少し長くなるが引用したい。
 “「いかに」という問いは、一定の結果をもたらす一連の相互作用を間近で観察するよう、我々をいざなう。対照的に「なぜ」という問いは、帝国主義ナショナリズム、軍備、同盟、巨額の融資、国民的名誉の思想、動員の力学といった、ばらばらのカテゴリー別の諸要因を分析するよう、我々をいざなう。「なぜ」からのアプローチは一定の分析上の明確さをもたらすが、理解を歪める効果もある。この場合、諸々の原因が次々と上に積み重ねられ、諸々の事実を下に押しやることになる。・・・・・本書が語る物語はこれとは反対に、何らかの作用を及ぼした人物たちで満たされている。”
 大勢の政策決定者たちがヨーロッパを少しずつ危機に向かって進めていった。それを本書は可能な限り描写している。
 例えば、セルビア国の首相のニコラ・パシッチの性格描写はこう書かれている。「秘密主義で、こそこそしていて、うんざりするほど慎重」。・・・・・このような人物がセルビアを動かしていた。彼は自国の利益よりも自分の利益を優先していたきらいがある。つまり、セルビアの利益が多少損なわれても自分の地位を保つことを最優先とした行動と発言をしていた、ということだ。
 そのセルビアは、汎スラブ主義(スラブ民族で統合しようとする立場。ナショナリズム。ロシアと友好。オーストリアと対立。)と親オーストリア派とあったが、汎スラブ派が影響力を強めてきた。それは取りも直さず、戦争の危険が迫ることに直結している。
 オーストリアは、多民族国家なので、ナショナリズムを嫌うが、そもそも複雑な国家として巨大すぎるし、どう行動すれば、国の利益になるか、というビジョンが欠けた国のようであり、その意味で老大国といってよい。
 フランスは共和制であり、イギリスの国王は政治に口を挟まない。オーストリアとドイツ、それにロシアは皇帝をいただく帝国であり、最終決定は皇帝にある。それはつまり、どの派閥が王を取り込むか、ということになる。このことは簡単に想像がつくし、本書はその派閥争いにほとんどのページを費やしている。これにあとさきを考えない血の気の多い無鉄砲なセルビア人のドタバタが入る。まったく大いなる人間模様が描かれているのだ。
 セルビアブルガリアルーマニアなどバルカン半島の小国の立場があり、考えがある。いかに自国に有利(領土を広げること、通商を有利な条件で行うこと)な条件を相手に飲ませるか。また列強の立場もある。例えばロシアは例のダーダネルスボスポラス両海峡の通行権の確保が最大の悲願。こんな風に各国の立場をこの場で書いていたら、切りがなく、それこそ本書を読んでください。ということだ。
 本書はまさに“いかにして”第一次世界大戦が始まったのか、が細かく描写されている本なのである。

The Sleepwalkers: How Europe Went to War in 1914

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