『震度7の生存確率』

 日本は自然災害の多い国である。地震、台風、豪雪・・・。世界で起きているマグニチュード6以上の地震の約20%が日本で発生している、という。我々は地震多発地域で生活している、ということを自覚して、地震に向き合わなければならない運命にある。だから地震対策に関連した本は膨大に存在している。
 今回紹介する本は、従来の防災の本とは一線を画している。既存の防災関連書は、災害の備えを充分に行うことへの啓発書であり、また、被災した後の過ごし方の解説書である。
 しかし、この本は発災の瞬間&発災の直後に照準を合わせている本なのだ。

震度7の生存確率』(日本防災教育振興中央会 仲西宏之・佐藤和彦 著)(幻冬舎)(2016)

 本書は、「そのとき」の対策(=災害での自分の身の守り方、生存方法)に特化した書籍なのだ。

震度7の生存確率

震度7の生存確率

 まずは、タイトル。「震度7」と地震についての本だ、ということがわかり、次に「生存確率」というちょっと刺激的な文言が続く。震度7という揺れでは、人はなす術がない、と本文の中では随所にいうのだ。
 そんな何もできないような強く大きな揺れの時、人はそれでもどう行動したら、その場で生き延びることができるか。第1章では、様々な状況の中で震度7地震に襲われたときの、自分の対処方法を質問形式で問いかけ、その行動が何%の生存確率なのか、ということを示している。ここで本書が強調するのは、震度7の揺れでは、人はうごくことができない。ということだ。
 実際に地震の揺れの等級では震度7が最高級であり、それ以上はない。震度8はないのだ。だから、震度7は無限大の揺れ、と認識する。ただ揺れているだけではない。物が移動し、飛び、建物が崩れる揺れが震度7なのだ。
 そんな中、人はどうやって生き抜くことができるのだろう。
 この第1章では、例えば「地下鉄に乗車中、地震に遭遇。その時、あなたは?」という質問に対して、3択の対処方法が用意されている。1)両手でつり革につかまったまま、踏ん張る 2)片手をつり革から離し、離した手で頭部を防ぐ 3)その場にしゃがみ込む
 回答では、1の生存確率は70% 2は50% 3は30%・・・。特に3(しゃがみ込む)のがいけないのは、地下鉄は走行中であり、まわりに多数の乗客がいることでしゃがみ込むことは圧死の危険があるから生存確率が低くなるのだ。
 このような質問がたくさんある。都市生活においてふつうの行動時に地震に遭遇した状況での質問なのだ。
 第2章では、さまざま危険を例示して、それに対処する方法を解説する。云ってみれば第1章での回答の解説である。
 やっかいなことに地震は季節や時刻を選んで発生しない。真冬や真夏の過酷な季節もあれば、夜中にも起こる。あらゆる事態を想定なないといけないのだが、人はそんなことはできない。どんな季節であってもどんな時刻であっても、まずは自分の身を守る、ということを心がける。そのための方法、自分の身を守るための基本姿勢である「ゴブリンポーズ」を紹介している。
ゴブリンポーズ=鬼の格好である。
 それに拠ると、
1 片膝をついてしゃがむ 2 後頭部に握りしめた拳をしっかり乗せる 3 顔を両腕で挟む 4 顎を引く・・・・・これがゴブリンポーズ。
この体勢で大きな揺れをやり過ごし、揺れが収まってから脱出=避難を開始する、ということだ。
 それでも大きな揺れが始まったとき(つまり揺れる前、いつもの状態の時)、どんな場所に自分がいるか、ということを常に考えて自分の位置を決めることが大切だ、とも云っている。入り口の近く、とか柱の脇とか、逃げやすいし押しつぶされにくい場所を選んで行動しよう、と提案している。
 本書は大きな揺れの時、他と比較して安全な処で身の守り、そして揺れが収まった後に、自分の力で自由に移動することができることが最も大切である。と訴えている。
 自力で自由に移動することができることを最優先にして日々生活する、ということなのだ。
 私にとってはなかなか刺激的な本なのだ。

 『沈 黙』

 先月は上智大学の先生でイエズス会の神父でもあるピーター・ミルワード先生の本を紹介した。今月もイエズス会に関係のある本を紹介したいと思う。イエズス会宣教師の話。でもそれは小説なので、フィクション。しかしいたる処に史実どおりのこともちりばめている小説を紹介したい。そしていま、それを原作にした映画が劇場で上映されている。

『沈黙』(遠藤周作 著)(新潮社)(1976年(昭和41年))

 遠藤周作はクリスチャンであった。そして本書はクリスチャンである遠藤周作が終生、心の中で問うていた問題について書いた物語であった。すなわち、「神はなぜ黙っているのか」という疑問であり、これが本書の主題なのである。
 主(創造主=神)は慈悲深く、人々を苦しみから救ってくださる。しかし、日本の切支丹のことはお救いにならなかった。神は沈黙したままだった。そして、それはもしかしたら実は神は常に沈黙したままなのかもしれない、神がなにかをしてくれることなど今までもあったのだろうか、という疑念に信徒は苦しむことになったのかもしれない。そしてそれはさらに恐ろしい疑念となっていくのである。すなわち、神は本当に存在するのか。と心のどこかでおもってしまうことになるのだ。
 この物語によると、江戸時代に切支丹の弾圧において、幕府は信者のそういう疑念をうまく利用して、棄教を迫ったと云える。信者の心の中の迷いに乗じて棄教に持っていく。神の存在を疑うこと自体が神への冒涜であり、それはすでに疑うことによって、信者の資格はない、という論法で棄教させていく。
 また、幕府は宣教師=バテレンは処刑しない。バテレンを処刑すると、彼らを殉教者にしてしまい、ますます切支丹たちは信仰を深めていくことになる。拷問し処刑するのは、百姓の切支丹たち。それをしっかりバテレンに見せて、バテレンを苦しめ、そしてバテレンに棄教を迫るのだ。苦しむバテレンは、懸命に神に問いかける。主よ救い給え。しかし神は答えない。神は沈黙したままである。バテレンの苦しみは最高潮に達する。そして神もお赦しになる、と悲しみの中で消極的であるが重大な決心をして、転ぶ(棄教する)。
 神を信じることで、なぜこれほど苦しまなくてはいけないのか。神に問いかけてもなぜ神は答えてくれないのか。そして、神はどこにいるのか。
 作家、遠藤周作の心の中の疑問はまさにここにあったのだろう。
 もうひとつ。遠藤周作の興味は棄教者にあった。フェレイラ師、ロドリゴ神父、そしてキチジロー。この主要人物3名がみな、転び者なのだ。信仰を守り続けた強い人たちは漁師たちであり百姓たちなのである。
 物語は珍しい形式となっている。まえがきとして時代背景や物語が始まるまでの経緯が長いト書きのように書かれている。そしてロドリゴ神父の手紙。リスボンからマカオ、そして日本の地に潜入し、布教活動の様子を細かく記したこの手紙は、ロドリゴ神父の一人称で書かれている。手紙形式の文体は、ロドリゴ神父がキチジローの裏切りによって日本の官憲に捕らえられるまで続く。そして第三の形式として、ロドリゴ神父の思考に沿って物語は進んでいくが、一人称ではなく、「彼は」という主語で物語を展開させている。第二の手紙形式は、困難な布教活動を描き、第三の客観的表現では、棄教へ至る心の変化を描いている。棄教までの心の変化は、一人称に語らせると、必ず自己弁護になってしまうから、客観的な第三者の記述表現にしたのだろうと推察する。
 遠藤は、棄教者に心を寄せている。

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

 さて、現在上映中の「Silence−沈黙」。巨匠 マーティン・スコセッシ監督作品。
 原作にほぼ忠実に描いている。
 映画は監督の意志と役者の演技によって完成する。スコセッシ監督の意図を汲んだ役者たちの演技が素晴らしい。本来はポルトガル語で表現しなければならないのだろうが、映画では当然のように英語が使われている。欧州の言葉であれば、英語でもいい。英語でも目をつぶるしかないであろう。
 本作の成功は、シークエンスの見事さもさることながら、配役の見事さに尽きると思う。とにかく観た方がいい。できれば原作を読んでから観た方がいい。宗教という、理解するのに少し時間のかかるものをテーマにしているので、会話も高度に形而上学的だから、映画で初見だと、意味がわからない処がたくさんあると思うのだ。

 『ミルワード先生のシェイクスピア講義』

上智大学の先生でイエズス会の神父でもあるピーター・ミルワード先生の授業がそのまま本になったような書物が出版された。
 第一部がピーター・ミルワード先生の講義録で、第二部が教え子であり訳者でもある橋本修一先生のシェイクスピア入門編とも云える教養講座になっている本。

『ミルワード先生のシェイクスピア講義』(ピーター・ミルワード 著)(橋本修一 訳)
(フィギュール彩)(彩流社)(2016年)

 ミルワード先生の専門はまさにシェイクスピア。そして本書ではシェイクスピアの悲劇に登場するヒロインたちについて考察している。
 第一講 ジュリエット(ロミオとジュリエット
 第二講 オフィーリア(ハムレット
 第三講 デズデモーナ(オセロ)
 第四講 マクベス夫人(マクベス
 第五講 コーデリアリア王

 ミルワード先生は、シェイクスピアの悲劇のヒロインたちを“超自然的な存在”という。
 すなわち、悲劇のヒロインたちは“すべてを超越した特別な存在”として描かれている、というのだが、実は執筆子には、その意味がよくわからない。この文章を読んだとき、なんとなく聖書というか、キリスト教的な匂いを嗅ぎ取った。ミルワード先生はイエズス会の神父さんである。
 読み進めていくうちに、シェイクスピアの戯曲には聖書からの引用や聖書の本歌取りがとても多い、ということがわかるのである。シェイクスピアを聖書の文言と対比した本に初めて出会った。王族にも貴族にも、一般民衆にも聖書のことばが普及していた、ということにあらためて驚く。日本人が超えられない大きくて分厚い壁を感じる。

 シェイクスピアの悲劇に登場するヒロインは、終始女性のままだ、という指摘がとても新鮮だった。つまり、シェイクスピアの喜劇に登場するヒロインたちは男装する。「十二夜」のヴァイオラ。「ヴェニスの商人」のポーシャ。「お気に召すまま」のロザリンド。
 ところが、ここに紹介される5つの悲劇のヒロインは、男装することはなく、登場してから、死んでしまうまで、ずっと女性のままなのだ。
 それは、なぜか? シェイクスピアの時代では、声変わり前の少年が女性を演じていた、という。つまり、ボーイッシュな女性こそ、最も登場させやすいキャラクターだった訳で、だからいわゆる喜劇というジャンルの作品群には、男装した女性がたくさん見られる、というからくりである。
 しかし、悲劇ではそうはいかない。ヒロインたちは主人公を支えながら、愛に生き、そして行動し、死んでいく。そこには騙りは必要ない。男装する理由はないのだ。
 ヒロインをしっかりと描くことで、主人公が浮かび上がり、そして人間の喜怒哀楽を表現し、人の心に染み込む芝居になるのだ。
 シェイクスピアが、没後400年経っても依然として世界中で上演されているのは、それが理由だ。人類の普遍的なテーマを扱っているからに他ならない。
 あらためてシェイクスピアの偉大さがよくわかり良書である。

ミルワード先生のシェイクスピア講義 (フィギュール彩)

ミルワード先生のシェイクスピア講義 (フィギュール彩)

 『シェイクスピア −人生劇場の達人−』

 現在、新国立劇場では12月22日まで、シェイクスピアの『ヘンリー四世』が上演されている。
 『ヘンリー四世』は1部と2部に分かれていて、長尺だからなかなか上演機会がない。また登場人物が多岐にわたっているので、役者を揃えなければならないし、主役級の役者が最低でも4人いなければ芝居が成立しない。だからこの企画は国家からの補助金が潤沢にあるであろう新国立劇場だからこそできる企画かもしれない。

『ヘンリー四世 第一部&第二部』(シェイクスピア 著)(小田島雄志 著)(1983年)
(白水∪ブックス)(白水社

ヘンリー四世 第1部

ヘンリー四世 第1部

 シェイクスピアの芝居は、主役がタイトルになっていることがとても多い。『マクベス』『リヤ王』『ロミオとジュリエット』『リチャード三世』・・・。この『ヘンリー四世』も、当のヘンリー四世は主役級には違いない。その息子の皇太子ヘンリーも主役であると思う。反乱軍の指導者であるヘンリー・パーシーもまた主役級だ。しかしながら、この『ヘンリー四世』においては、実は本当の主役は彼ら王の親子ではなくまた反乱軍の将軍でもない。真の主役は騎士「フォールスタッフ」なのだ。

 フォールスタッフは皇太子ヘンリーの悪い友達である。『ヘンリー四世』第一部では、前半、皇太子ヘンリーは父王ヘンリー四世の心配をよそに放蕩三昧。落語の与太郎。だめな若旦那役に徹している。そして放蕩王子ヘンリーをそそのかして悪いことを教えるのが悪友フォールスタッフ。しかしながら、このフォールスタッフ。なかなか含蓄のある台詞を吐くし、それが真実と思う瞬間を感じる。それは脚本を読んだだけではわからない。いい役者が演じてこそフォールスタッフの台詞が生きてくるし、フォールスタッフはいわゆる“キャラが立っている”役なのだ。・・・脚本を読むだけではなく、芝居を観ないとわからない役は、シェイクスピアの芝居でいえば、『オセロ』のイヤーゴがその代表と云えるが、このフォールスタッフはイヤーゴと双璧をなす役柄かもしれない。

 芝居の筋は簡単だ。イングランドに内乱が起こる。王は反乱軍を討伐すべく兵を集めるが、肝心の皇太子は行方不明。どこでどうしているのかわかない。皇太子ヘンリーはそのころフォールスタッフをはじめとした悪友たちと悪だくみと悪行三昧。しかし父王に呼ばれた皇太子はころりと簡単にいい皇太子に変身し、反乱軍を討伐し敵の大将を討ち取る。その間フォールスタッフはうまく立ち回り、何もやっていないにもかかわらず、強い武者としての名声を上げる(第1部)。反乱軍を討伐したヘンリー四世であるが、その残党が挙兵し、再び内乱が起こる。改心したはずの皇太子は、酒場で悪友たちとつまらないことをしている。そして父王の臨終。死の床についている父、ヘンリー四世の前で再びころりと改悛する皇太子。そして父ヘンリー四世の死。ヘンリー五世として即位。その席でフォールスタッフに引導を渡す新王。「私を昔のままの私だと思うと大間違いだぞ」(第2部)。

 ストーリーとして幼稚なほどわかりやすいが、単純すぎるその筋書きに半畳、つっこみ、だめだしを入れたくなるのはむしろ当然のことなのだ。あれだけ遊んでいた皇太子が反乱軍を前にころりと勇猛果敢な皇太子になる。しかもその後、ふたたび遊びほうける皇太子に逆戻り。いつも悩んでいる父王、ヘンリー四世。悩んでいるなら早いこと長男のヘンリーから皇太子の座を取り上げて次男に与えてしまえばいいのに。ヘンリー四世には長男ヘンリーの下に、トマス、ジョン、ハンフリー、と3人も弟王子たちが控えているのだ。
 とは云え、この『ヘンリー四世』はしぶとく名作として評判を21世紀になっても勝ち得ているのはなぜか。その最大の理由は、とりもなおさず、フォールスタッフにあるのだ。
 フォールスタッフ。愛しい太っちょおっちょこちょい嘘つき気弱打算的エログロ騎士。およそ人間の、人類の弱さと醜さをそのまま体現し、弱点という弱点をすべて身につけたこのフォールスタッフこそ、この芝居の核心なのだ。フォールスタッフを理解してはじめて『ヘンリー四世』が理解できるのである。

 “名誉ってなんだ? ことばだ。その名誉ってことばになにがある? 空気だ。結構な損得勘定じゃないか! その名誉を持っているのはだれだ? こないだ死んだやつだ。やつはそれにさわっているか? いるもんか。聞こえているか? いるもんか。じゃあ名誉って感じられないものか? そうだ、死んじまった人間にはな。じゃあ生きている人間には名誉も生きているのか? いるもんか。なんでだ? 世間の悪口屋が生かしておかんからだ。だからおれはそんなものはまっぴらだと云うんだ。名誉なんて墓石の紋章にすぎん。”(第5幕第2場)

 ・・・・・このせりふなぞ、フォールスタッフの性格をよく表している代表的なせりふだと思う。そして脚本で読んだだけではわかりにくい。というか、このせりふは抜粋しているので、前後に膨大なほかのせりふが控えている。読むときには集中力を欠き、飛ばしてしまう危険もある。しかしながら、いい役者がこのせりふを語るとき、われわれ観客を心が締め付けられるような共感と感動を与えられるのだ。

 この『ヘンリー四世』はフォールスタッフだけが素晴らしい。と云っていることにまあ、間違いはない。ただし、読み方を間違えてはいけない。
 この『ヘンリー四世』は皇太子ヘンリーの成長物語なのだ。そして初めは鏡のように同じ姿で向き合っているヘンリーとフォールスタッフは、いつしかその役目を変え、フォールスタッフはヘンリーの反面教師としての役割に変わっていくのである。実にヘンリーはフォールスタッフの良くない処を参考にして、王になるべく成長するのだ。

 シェイクスピアは『ヘンリー四世』でフォールスタッフをほぼ殺してしまう。しかしこの芝居でフォールスタッフの熱狂的なファンが黙っておらず、シェイクスピアは次作『ウィンザーの陽気な女房たち』に登場させた、という話だ。

 ちなみに、いま上演中の新国立劇場『ヘンリー四世』の配役。
 ヘンリー四世:中嶋しゅう/皇太子ヘンリー:涌井健治/フォールスタッフ:佐藤B作
 ・・・です。

 『シェイクスピア −人生劇場の達人−』

 河合祥一郎シェイクスピアを研究している大学の先生だ。彼はわかりやすい言葉で次々とシェイクスピアの入門書を書き発行しているが、今回俎上に乗せる本は、まったくシェイクスピアを知らない人向け、というものではなく、少なくともシェイクスピアの四大悲劇といくつかの喜劇を観ている、という人向けの本のような気がする。シェイクスピアの生涯を辿り、彼が生きた時代を理解して、作品が表現している人間の喜怒哀楽を丁寧に解説してくれる。そして最終章ではシェイクスピアの戯曲から生き方や哲学を解析してみせている。

シェイクスピア −人生劇場の達人−』(河合祥一郎 著)(2016年)(中央公論新社
中公新書

 新書は、専門的な問題を一般の人向けに解説する書籍。という定義だと理解しているが、本書はまさにその定義どおりの解説書になっている。とにかくわかりやすい。
 本文が7章ある本書を大きく3つのテーマに分けるとしたら、1章から3章までがシェイクスピアの生涯を辿る道のり。4章から6章は、シェイクスピアの作品をうまく解説している内容であり、最終の7章は「シェイクスピアの哲学」というタイトルでシェイクスピアが影響を受けたであろう思想や哲学を戯曲のセリフから分析し解説している。

 最初のシェイクスピアの生涯をみたとき、本書は単なる事実と推測の羅列に終わらず、誰と出会い、どんなことを考えていたかを推測し、彼の戯曲を分析する後半の内容につなげている。さらにシェイクスピアが生きていた時代を世界規模で俯瞰してみる。シェイクスピアの活躍した時代はエリザベス朝と重なっているのは皆に周知のことであるが、そのエリザベス朝において、当時世界最強とされていたスベインの無敵艦隊を打ち破ったこと、そして遙か極東の日本においては信長秀吉家康の時代であることは、あらためて指摘されないと気づかない。初めて日本に来たイギリス人は、三浦按針の日本名で知られたウィリアム・アダムスであり、彼はシェイクスピアと同い年であった。しかもファーストネームも同じウィリアムである。イギリスのウィリアムは女王陛下のために芝居をつくり、女王のために尽くした。日本に来たウィリアムは徳川家康のために船をつくり外交顧問として活躍していた。なんだか、とても興味深い歴史の偶然なのである。いい話だ。

 シェイクスピア演劇は日本の狂言と似ている。まず、精巧なセットではない。また上演する舞台には幕がない。太郎冠者は舞台上を一周りして田舎から都に上る。同じようにシェイクスピアの登場人物は舞台を一周りして宮廷から鬱蒼とした森に辿り着く。ひとつの舞台で時間と空間を飛び越えてしまう。そこでは役者の力量も試されるが、観客の想像力も柔軟にしておかなくては芝居の進行についていけなくなる。そこでは自由に時と場所を移動することができるので、自由な発想が許される。『オセロ』では舞台はベネチアからあっという間にキプロスに移動する。近代演劇では舞台がひとつのセットでおこなわれることが多いので、場所の制約はシェイクスピア演劇とは比べられない。とは云いつつも、現代に生きるわれわれは、このような舞台上においてひとつのセットで、登場人物が入れ替わり立ち替わり出入りして進行していく芝居に慣れており、舞台演劇と云えば、そういうスタイルを思い浮かべるのである。今ではシェイクスピア演劇が異端と考えてよさそうだ。制約が多いほうが濃密な演劇になる、と思う人は多いだろう。この観点から演劇論を試みる書物は多い。

 シェイクスピアの悲劇と喜劇の違いは何か。本書ではそれを上手に表現している。すなわち“悲劇の世界を《To be,or not to be》(=あれかこれか)とするなら、喜劇のせかいは《To be and not to be》(=あれでもあり、これでもある)と規定できる”と云っている。悲劇ではひとりの主人公が悩み、彼の価値観が唯一正しいとされるが、喜劇ではたくさんの登場人物があれこれ能弁におしゃべりをして価値観もたくさん存在し、すべて肯定される。

 シェイクスピアの喜劇は混乱が生じてそれを解消していく物語だ。混乱は解消され大団円で芝居が終了する。その混乱の中で主人公は自分を見失う。そしてそれが収束して解消されていく過程で主人公は今までの殻を破り、新しい個性を手に入れる。
 一方の悲劇はどうか。主人公がもともと持っている強靭な精神は変化することなくそのままで最後には死が待っている。自分の価値観からはずれたものを否定するのであるが、それは逆に自分に災いが降り掛かってきてしまうのだ。主人公は神の替わりに判断する。それを“ヒューブリス”というらしい。シェイクスピアの悲劇の主人公は皆がそのように、「神に成り代わって運命を定めようとする傲慢さ」を持っている、という。ハムレットもオセローもマクベスもリヤ王も。皆、神に替わって正義を行おうとしてそして自滅するのだ。この4つのタイトルロールがシェイクスピアの四大悲劇に数えられる。

 同じように主人公が死んでしまう悲劇に『ロミオとジュリエット』があるが、これが四大悲劇に入らない理由は何かと云えば、ロミオもジュリエットもヒューブリスがないからだ。神に代わって運命を定めようとはしていない。彼らが死んでしまうのはまったく運が悪かったことに尽きる。

 シェイクスピア演劇、特に悲劇を考えるときに“世界劇場”という概念はとても重要である。『お気に召すまま』の有名なセリフ。「世界はすべて一つの舞台。男も女も、みな役者にすぎぬ。」というあれである。人生は芝居であり、人間は役者である。・・・ということは自分自身を客観視する必要がある。自分を客観視するとき人は冷静になる。自分自身を判断するのだ。そして死へと一直線に進んでしまうのだろう。世界劇場の概念は悲劇に結びついているのだ。

 最終章の「シェイクスピアの哲学」には「心の目で見る」という副題がついている。物事は一方からだけでみるのではない、いろいろな方向からみなければならないし、時には見えないものも心の目で見なければならないのだ。自分の心の中で真実だと思える何かを感じられなければ見たことにならない。事実は客観的なものであり、真実は主観的なもので、人によって違ってくる。つまり自分の人生は自分で切り拓くために自分の真実を感じなければならない。シェイクスピア演劇には、その真実を感じる方法がふんだんに盛り込まれている。

 演劇を通して真実をみつけるために、自分の中の「信じる力」を頼りにする。それが自分は何を信じるか、自分の信じる力で真実をみつけるのだ。それこそが演劇の大きな力であり、「信じる力」こそが人生を切り拓く手段であろう。これが今回の結論なのだ。

 『男ありて 志村喬の世界』

 澤地久枝が名優、志村喬を描いている本を見つけた。新刊はもうないと思う。古本屋で見つけた。しかも著者サイン本。
 志村喬。1905年(明治38年)生まれ。1982年(昭和57年)逝去。戦前から活躍する昭和を代表する名優である。
 志村喬の役者人生をノンフィクションライターである澤地久枝が描いた作品。

『男ありて 志村喬の世界』(澤地久枝 著)(1994年)(文藝春秋社)

男ありて―志村喬の世界

男ありて―志村喬の世界

 写真がふんだんに挿入されている本。どの写真にも志村喬の特徴ある顔がある。若いときから晩年のものまで、志村喬のたくさんの写真。顔はその人の人となりを語る。志村の顔を見ていると、そういう思いがひしひしと湧いてくる。どれもいい顔をしているのだ。
 澤地久枝の文章も素晴らしい。抑制が効いていて、普段は口数の少ない志村の姿をうまく表現できていると思う。

 志村喬と云えば、黒澤明監督であり、相棒は三船敏郎である。しかし、本書はそのことについては読者が思っているほどは触れていない。それでも黒澤と三船と3人で作った映画についての記述は全体に占める割合から云ってもたいへんな量であるのだが、それはたぶん黒澤と三船とともにある志村を期待する読者からすると、やはり少なく感じるだろう。

 筆者の澤地久枝は、志村喬が出演している黒澤監督の映画の中で最も志村の名演が光っている、と思う作品として、『醜聞 スキャンダル』を挙げている。

<あの頃映画> 醜聞(スキャンダル) [DVD]

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 確かに、この『醜聞 スキャンダル』では主役は三船敏郎山口淑子でありながら、志村の演じる堕落した弁護士を中心に描かれ、そして志村の演技がすばらしい。
 なぜ、この作品がナンバー1なのか? その理由は、澤地久枝の個人的な問題に拠るところが大きい。この作品の中で志村が演じている蛭田という名の弁護士は、三船と山口淑子演じる画家と歌い手の代理人となるが、彼らが名誉毀損で訴えた雑誌社と裏で手を結んでしまっている。その理由は病気の娘の治療費を得るため、ということだが、弁護士として職業倫理に反しており、最もやってはいけないことを蛭田はしてしまったのだ。しかし最後に彼は翻意して、自分の悪事を公表することによって、自分の裁判に勝つ、という道を選んだ。そして澤地はこのような志村が演じる蛭田という弁護士の姿を自分の父親に重ねた。“もし父がこの映画を見たら、男泣きしただろうと思う”と書いている。また、“負けた人間の一人として、蛭田の転落と翻身は、父の心を打たずにはおかなかったと思う。”とまで云いきっている。澤地の父親も蛭田と似たような人生を送ってしまった。作家とは、世の中のすべての事象について、その由来や典型を考える。そしてそれらを自分のことに一旦置き換える。その上でそれを文章にしていく。この澤地がこの『醜聞 スキャンダル』を観て、感じたこと考えたことは、彼女の父親のことであり、それを確認すれば自ずと、この映画が志村の出演している黒澤映画で一番になったのだ。作家の仕事は「置き換え」であり、「感情移入」なのだ。

 閑話休題
 もともと澤地久枝向田邦子と親しい間柄の友人だった。映画が斜陽となり、テレビに活躍の場をシフトしていったとき、テレビドラマの優れた書き手としての向田邦子が脚本を書いたドラマに志村は数多く出演するようになる。それから向田邦子と親しくなり、さらに澤地久枝とも交流を重ねるようになる。澤地はノンフィクションライターとして、志村のこと、そして彼のよき伴侶である政子のことを書き残したい、という作家の本能が本書を生んだ。
 執筆子は、志村のこと、妻の政子のことについて、本書を読んで初めて知ることが多かった。今まで、志村喬のことは黒澤明、という圧倒的なフィルターを通してしか接していなかったから、それもそのはずなのである。
 黒澤や三船のものを読むとき、必ず出てくるのは、志村夫妻の面倒見の良さである。役者仲間からおじちゃん、おばちゃん、と慕われ、志村の家がたまり場になっていた。・・・・・ということは、誰もが証言していることだ。しかし、たとえば政子との結婚のいきさつとか京都での新婚生活とか、それから、その京都時代に特高警察に捕まったこと。さらに、志村が捕まったときに志村は政子に、月形竜之介に相談せよ、と書き置いたこと。そして月形はしっかり約束を果たし、志村の留守宅を守ったこと、などが感動的に書かれており、すべてが初めて聞くことばかりであった。これらのエピソードは、つまり、黒澤と三船のふたりと出会う前の出来事だから、こちらは何も知らなかったのである。

 黒澤との出会い。『姿三四郎』(1943年(S18))に出演してから、『七人の侍』(1953年(S28年))まで、この10年間、志村の40歳代は、黒澤映画一色と云っても過言ではない。そしてその後も黒澤映画には1980年(S55)の『影武者』までほぼ常に出演するが、二度と主役および主役級の役にはついていない。これ以降の黒澤映画(たとえば『用心棒』あるいは『赤ひげ』)では、はっきり云えば志村でなくとも、ほかの役者でもできる役ばかりであった。そしてその肝心の志村は、自分の最も円熟した時期は黒澤とのこの10年間ではなく、『七人の侍』以後の10年間。すなわち自身の50歳代であった、と晩年、澤地に云ったという。つまり、これはわれわれ、日本映画ファン、あるいは志村喬を贔屓にしている者からすると、ちょっとばかり驚くことなのだ。こちらは勝手に志村の最高峰は「渡邊勘治」(『生きる』)か、「島田勘兵衛」(『七人の侍』)と勝手に思っている。しかし、本人の志村は、それでもなお、その後の10年間が自分の最高の時期だ、と云っているのだ。
 本書でもたとえば、『男ありて』(1955年(S30))(注:本書のタイトルも『男ありて』)や『暴力の街』(1955年(S30))。あるいは『花の大障碍』(1959年(S34))について、志村が好きな作品として紹介されている。

 実はここでも三船敏郎と同じことが云えるのだ。あの大きな世界ミフネでさえ、巨大な黒澤明の網の中から出られずに(本人もわれわれ観客も)あえいでいる。そして志村喬でも同じことが起こっている。われわれは黒澤映画以外の志村喬をあまりにも知らなさすぎやしないか。われわれは、もっともっとこの「志村喬」という希代の名優のことを観ていかないといけない。・・・・・これが今回の結論なのである。

 『黒澤明と三船敏郎』

 久しぶりに黒澤明三船敏郎の関連本を手に取る。ふたりの巨人の人生が一冊の本にまとめられた。ある意味とても贅沢な本である。著者は外国人。2001年に原典が上梓され、昨年その日本語訳が出版された。この日本語訳は索引を含めると700ページを越える大作となっている。
 英語で書かれた本書の題名は、『THE EMPEROR AND THE WOLF The Lives and Films of Akira Kurosawa and Toshiro Mifune』(直訳するなら「皇帝と狼 黒澤明三船敏郎の人生と映画」という感じか)
 分厚い本だが一気に読める。

黒澤明三船敏郎』(スチュアート・ガルブレイス4世 著)(櫻井英里子 訳)(2015年)(亜紀書房

黒澤明と三船敏郎

黒澤明と三船敏郎

The Emperor and the Wolf: The Lives and Films of Akira Kurosawa and Toshiro Mifune

The Emperor and the Wolf: The Lives and Films of Akira Kurosawa and Toshiro Mifune

 本書の一番の特徴は、なんといってもその分厚さにある。なぜこれほどまでに分厚いか。黒澤明三船敏郎という二大巨頭を描いているのだから当たり前と云えば当たり前なのであるが、筆者が特に注目したい映画について、普通のすじがき(映画のプログラム)以上に詳細にあらすじを追っているところにある(つまり結末までしっかり書いてある。いわゆるネタばれ)。

 黒澤と三船の人生と映画について書かれている本なので、三船が出演していない黒澤映画(例えば『生きる』とか『影武者』『乱』など)、黒澤が監督をしていない三船主演映画およびテレビ(『レッド・サン』『将軍』など)についてもそのあらすじは詳細に言及されている。
 そのあらすじであるが、結局は本書の著者の視点からのあらすじなので、著者はどこが重要な処と感じたのか、ということも併せてわかる。例えば、『天国と地獄』。なんと15ページを越える分量であらすじを書き連ね、この映画を詳細に紹介している。この映画は前半と後半で大きく舞台が違っている。前半は誘拐犯と権藤、そして刑事たちの性格劇。後半は犯人を追い詰める犯罪刑事ドラマになっている。そして特にこの前半の主な舞台である権藤邸での刑事たちと権藤のやり取り、犯人からの電話でのやり取りについて細かく記載している。本書の著者はこの前半の権藤邸での場面がとても重要だと考えたのだ。

天国と地獄 [Blu-ray]

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 この映画を本書はベタ褒めしている。この映画はエド・マクベインの『キングの身代金』が原作であるが、ある意味、原作をも超えたとまで云っている。象徴的なのは映画のラストシーンである。本書では最も感動的で重要なのは、このラストシーンだ、と書かれている。権藤と犯人がガラスを隔てて向き合っている。このシーンでの思想性を著者は言葉を重ねて多弁する。そして最後にこう書いてこの『天国と地獄』の紹介を終えている。“『天国と地獄』は、個人の責任がテーマの作品である。最初の一時間の権藤は、自分と家族と、身近な人間への責任感から行動する。しかし最終的には竹内(注:犯人)、ひいては人類そのものに対し責任を負う人間になる。”

 また、黒澤と三船の人となりについて、あるいはある作品の制作秘話についても興味深いものがある。ふたりについて目新しい話がふんだんに盛り込まれている、と感じた。黒澤と三船のふたりに直に接していた人たちも随分年老いたのであろう、そろそろ云ってもいいかもしれない、という判断が働いたのではないか、と思う。
 そのことは著者あとがきでもふれているが、インタビューをした人々にとってこのインタビューがカタルシスになったのではないか、と著者は云っている。話すことによって気持ちが落ち着き、解放され浄化された。云ってはいけないことだったり、長く封印していたり、傷ついたことだったりしたことを話すことによって気持ちの整理をつけていたのだろう。だから彼らは多くをこのインタビュアー(著者)に語ったのだろう。とてもおもしろい話がふんだんに出てくる。
 これらの著者によるインタビューをした人たちの名前は巻末の「謝辞」という欄に載っている。その中には黒澤と三船を語らせる際に無くてはならない人たちの名前がないこともすこし残念なのであるが(仲代達矢山崎努寺尾聰野上照代、といった人々)、そういう不足を云ったら切りがないからやめておく。

 また、それ以上に興味深いのは、黒澤と三船の映画ついての外国の評判(特にアメリカ)がたくさん載せられていることだ。映画上映に当時の新聞や雑誌の記事を丹念に発掘して載せている。作品を否定する評論と好意的な評論を併せて載せる。そして著者のコメント。だいたいの場合、批判している記事を否定し、好意的な記事を肯定している。批判している記事を書いた評論家には、彼はこの映画の一面しか見えていなかったと言い放ち、好意的な記者に対しては、よくわかっていると褒めている。そこに一貫していることは著者の黒澤と三船の作品に対する大きな愛であろう。

 ハリウッドのスタンダードを押し付けたり、逆にハリウッド流の映画でないと判断したり、あるいはハリウッドの真似をしているにすぎない、と評論している記事に対して著者は容赦ない攻撃を加えている。日本映画はハリウッド映画ではないし、ハリウッドの映画が最も優れた映画ということでもないのだ。実際に例えば『七人の侍』がアメリカで上映された時には、この映画はガンマンが活躍する日本版西部劇である、と見下した記事ばかりだったようだ。この『七人の侍』を好意的に観た評論家のひとりにアーサー・ナイトという記者がいるが、彼の評論を読んで著者は、“彼は、黒澤映画を深く、完璧なまでに理解していた。その説得的な文章に感嘆した。映画評論はこうあるべきだ、と思った。”と書いている。最上の褒め言葉が並んでいる。

 黒澤と三船のふたりを語るとき、最も重要なことは一緒に仕事をした1965年(昭和40年)まで(作品で云えば『赤ひげ』)とそれ以降の別々の道を歩んだ時期とのことを明確に区別することである。執筆子としては、黒澤と三船を書くときに、なぜそこを境に別々の道を歩んだか、ということをしっかり考察しなければいけないと思っている。
 黒澤はハリウッドから持ちかけられた2作(『暴走機関車』と『トラ・トラ・トラ!』)の企画があり、脚本も完成したのに結局は作ることができなかったという失敗。創造する人が創造することを取り上げられ、彼はついに自殺未遂まで起こしてしまう。

 一方の三船もまた、三船プロダクションという会社を作ってしまったばかりに、その会社を維持しなければならないために(社長である三船は社員に給料を払わなければならない義務があった)凡作駄作に出演し続けてしまったこと。表現者がよき創造者に恵まれなかったばかりにその能力を発揮できなかった。

 それでも黒澤は停滞の50歳代・60歳代を経て、晩年に見事に復活する。しかしながら三船はついに復活することなく、そのまま逝ってしまった。……というのが本書の見立てであるが、三船だってその後にいい作品に出ていないとは云えないと思う。1971年に一年間放映された『大忠臣蔵』(三船はむろん大石内蔵助役)なぞ、いい作品だと思うのだが……。
 いずれにしても製作期間が長くかつ製作期間中に他の作品に出演することを嫌う黒澤作品に多忙な三船が出ることは不可能になってしまったのは間違いない。

 黒澤と三船が組んだ最後の映画、『赤ひげ』(1965年)あたりから急激に日本映画の衰退が始まり、彼ら二人が生きている間に日本映画は復活を遂げることはできなかった。巨額な制作費を必要とする黒澤明の映画。日本を代表するトップ映画スター、世界のミフネ、三船敏郎。このふたりが同じ映画で仕事をすることはもはやありえなかったのだ。