『演技と演出』(平田オリザ)

第25回 平田オリザが求めるもの(その2)

 前回ご紹介した『演劇入門』(講談社)(講談社現代新書)(1998)の続編。姉妹書と云ってよい本を今月はご紹介しよう。

 『演技と演出』(平田オリザ 著)(講談社)(講談社現代新書)(2004)

 題名のとおり、演技と演出について、平田オリザさんが一般の人にわかりやすく伝授している。平田オリザ主宰の演劇ワークショップに参加しているようだ。
 前作の『演劇入門』が芝居の作り方、戯曲の書き方を伝授する本ならば、こちらは芝居の演出の仕方と演技をするときのコツを説いた本になる。
 平田オリザらしく、まずは言葉の定義から始める。
 「演技」とは、俳優が自分を制御して何かの振る舞いをすること。
 「演出」とは、外から与えられるもの。
 ・・・・・・このように定義づけられても、素人はよくわからない。この定義が本書を読む前からすんなり理解できれば、もう本書を読む必要はない。ちんぷんかんぷんならば、本書を楽しみながら読めるというものだ。
 さて、いずれにしても、どうやって「演技」をするのか?また「演技」させるためにどのように「演出」するか?

 平田オリザが好んで使う言葉のひとつに「コンテクスト」という言葉がある。通常「文脈」と訳しているが、平田の場合、一人ひとりの言葉の使い方の違い、ひとつの言葉から受けるイメージの違いを、この「コンテクスト」という言葉で表現している。この「コンテクスト」=生い立ちや環境で違ってくる言葉の使い方や言葉のイメージの違い。を理解した上で、演技をさせ、演出をする。人はそれぞれさまざまな「コンテクスト」を持っているから、せりふを云う人と云われる人が持っているその「コンテクスト」を摺り合わせ、同じにしていく作業を「演出」という。例えば、平田が本書で盛んに例示しているのが、「ご旅行ですか?」というせりふがある。いったいこれを自然に云うためには何が必要なのか、何が邪魔なのか。普通に考えれば、このせりふを云う側にだけ責任があり、せりふをどうやったらしっかり自然に普通にさりげなく云えるのか。せりふを云う役者は悩みながら発語しようとする。しかしうまくいかない。なぜか?
 せりふを云う側と云われる側それぞれが「コンテクスト」を摺り合わせていないからだ。列車内のボックスシートでいきなり向かいの人に話しかける人はそうそういない。もしも自分が他人に話しかけるとしたら、どう云うのか?とイメージを広げていくこと。これが、「コンテクストを摺り合わせる」ことである。自分が自然に「ご旅行ですか?」と云えるためには、何が必要なのか。つきつめて考えるとそれは、「ご旅行ですか?」と発語する側よりもむしろ話しかけられる側に強い要素があることがわかってくる。我々は常に相手をみてものを云い、会話をしているのだ。自分の話は相手次第。相手あっての会話である。いくら人見知りしないで快活な人でも、向かいに座っている人がやくざとわかれば話しかけはしまい。あるせりふを云うには、相手が話しかけられやすい状態になっていなければ、いいせりふは云えないのである。“相手の力を利用してせりふを云う”。
 演劇の素人でもわかりやすい議論の展開は、読んでいても小気味よい。
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 最初の方に書いた、一文に戻ってみよう。
 「演技」とは、俳優が自分を制御して何かの振る舞いをすること。
 「演出」とは、外から与えられるもの。
 人がせりふを云いやすい状態にするのが演出であり、相手にせりふを云いやすくさせるように振る舞うのが演技なのだ。うん。よくわかる。
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 演劇は人生に似ている。と平田は云った。人は、人生をうまく演出していかなけばならない。
「何のために生きるのか」という命題は、「いかに生きるのか」という命題と両立するかどうかは、まだ議論の余地があるように思えるが、人生を演出する、という考えには双手を挙げて賛成したい。

演技と演出 (講談社現代新書)

演技と演出 (講談社現代新書)